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人骨山の人食い鬼・3 [いなかの伝承]

人骨山の人食い鬼の話しですが、mintonさんから頂いたコメントの返事で書いたのですが、別の仮説もしてみました。昔話しはこうしていろいろなことを考えることができるのが面白いです。

房総半島の保田周辺は、もう少し南から外房の九十九里になると海岸線ではいろいろな漁が出来たので、江戸時代にはそれなりの人が住んでいたようですが、人骨山のある辺りは昔はあまり人が多くなかったという話しを耳にしました。



房総半島の先端部の館山という町の海岸線には「北条」という地名があります。もともとこのあたりは南総里見八犬伝で知られる里見氏の領地でしたが、たぶん三浦半島の北条氏に攻め奪われたと想像できます。北条と里見は争いを続けていたんですね。

この里見氏には埋蔵金伝説があり「朝日さす夕陽輝く双樹の下に漆千盃 朱千盃 銭十億万貫を埋めておく。非常の際はこの財宝用うべし」と伝えられています。こうしたわかりやすい伝承は人目をそらす意味が大きく、まず疑ったほうがいらしいのですが、真偽はともかくその場所は館山市の内陸部にある、千倉(ちくら)に近い小松寺です。

小松寺は文武天皇の御代(683~707年)に役小角(えんのおづぬ)によって小さな庵が建てられたのが始まりといわれています。役小角とは、役行者(えんのぎょうじゃ)とも呼ばれ、「孔雀王の呪法を修持し不思議な威力を得て現に仙人となりて天に飛ぶ縁」との伝承などが残り、修験道の開祖として尊崇される実在の人物です。その影響があるのか、小松寺周辺には天狗伝説も残っています。

その庵が718年に御堂に建て替えられ、巨松山檀特寺になりました。その後火災で全焼して920年に再建され、檀特山医王院巨松寺と寺名を改めましたが、最初の名前とは順番が逆になっています。現在は檀特山小松寺が正式名称ですが「巨松寺」と「小松寺」では、音は似ているもののまるで印象が違って感じられます。

私は先の館山生まれということもあり、かれこれ30年ほど前にここの住職に話しを聞いたことがあります。そのときには裏山の尾根の端に、大きな二本の松の木が生えていたと聞きましたが、そこを掘らせて欲しいと言う人が年に何人も訪れたそうですが、財宝が出た話しは聞いていないということでした。もっともでたら黙って持って行くでしょうけど。

話しがだいぶそれてしまいましたが、小松寺と城との距離は3キロほどで、抜け道もあったといわれてるようです。もっとも城と抜け道はセットのようなものですね。その里見家の埋蔵金伝説はこの小松寺が有名ですが、外房の鴨川、内房の富浦にもあるとされています。

そちらは小松寺のように知られたものではなく、ほとんど埋蔵金関連の書籍にもでることがありませんが、案外こちらのほうが本命かもしれません。やっと人骨山になりますが、この富浦の里見家復興のための埋蔵金伝説の場所と、この人骨山はとても近いのです。

昔からなにかしら隠して人目につけたくない場所、人が来ないようにしたい場合や、荒らされたくないときには、物の怪や鬼などのよからぬ噂を流して人を避けたり、宗教的な聖地として立ち入り禁止として守ることが行われていました。小松寺では寺が、富浦では鬼がこの財宝を守っているのかもしれません。


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minton

素晴らしい説ですね。
僕の仮設よりずっと濃い内容です。

by minton (2013-12-13 00:47) 

川越

> mintonさま、おはようございます。
私のは裏もなにもないただの戯れ言ですから、「あ〜、そんなのもおもしろいかも」って読んで頂ければ嬉しいです。いつもありがとうございます。
by 川越 (2013-12-13 07:55) 

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