奥会津でキャンプ [国内旅行]
相棒のドライブで急遽キャンプに行く事になったのは先日書いた通り。幸い日月は天気にも恵まれて、何事もなく楽しんできた。目的は特になくて、釣りが少しできて温泉に入って、のんびり夕食を楽しめればいいという気楽な旅。
ルートは往復同じなのが残念といえば残念だけど、銀山湖の湖畔を走ったり、奥只見シルバーラインの古いトンネルを抜けたり、相棒にはきついドライブだったけどそれなりに楽しい時間だった。
湖畔の途中は犬鷲の繁殖地らしく、ダム工事も繁殖の時期は中止したらしい。この写真のワシは多分トンビだけど、繁殖地と聞くだけでつい空を飛ぶワシの姿を探してしまう。
奥只見ダムのある銀山湖にはもう20年も前に一度来たことがあるけど、そのときに湖畔で売られている「尾瀬三郎」という日本酒があることを知った。今回もこのお酒を買うことができた。試飲させていただいたけど、なんとも懐かしいお酒の味がした。飲めるのはお正月かな?
テントを張ったら自分は釣り竿を持って川へ、相棒はテントで読書。小一時間ほど楽しんできたけど、釣果は無し。まっ、夏休み最後の土日だし、大きなイベントがすぐそばで行われた後だし、期待はしていなかった。でも大きなイワナがゆらりと出てくるのを見ると、豊かな川だなぁと嬉しくなる。
夕食はイノシシのレバーやハツ、それにいつものつまみのようなものをビールとお酒で。朝は友人シェフに貰ったパン生地を焼いたりして、久しぶりにのんびりとした時間を楽しんだ。
帰りはシルバーラインの入り口まで戻って、下ルートの枝折(しおり)峠方面へ。大湯温泉の街中を抜けるとすぐに山中になり、その奥にある「駒の湯温泉 駒の湯山荘」で混浴に入ってきた。以前は「日本秘湯の会」だったらしいけど、今は「元」という文字が頭に付く。
月曜なのでお客さんは一人だけ。源泉は33度とぬるいけど、二つある湯船の一つは沸かしてある。でもこの時期はぬるいお湯でも問題なし。ゆっくりしたかったけど、やっぱり夏はアブが煩くて、早めに出てきた。とてもいい温泉なので、秋にでもまた行ってみよう。
残暑お見舞い申し上げます
懐かしい地名が紹介されていましたので、寄稿します。
銀山湖とは、今から30年以上も前に2回に亘り訪れた山奥の秘境です。1回目の1982年は、福島県の燧ケ岳登山の帰路、2回目の1985年は新潟県平ヶ岳登山の帰路に立ち寄った場所です。
何れも、山小屋前から船着き場までマイクロバスに乗車。そこからは、銀山湖を渡る観光船でバス停下まで赴き、路線バスへ乗り継いで国鉄の浦佐駅か小出駅へ出た記憶が有ります。
現在でも秘境なのでしょうが、当時はそれに輪を掛けるような情況で、山奥の湖は静謐そのもの。およそ人間の気配なぞ殆どなく、観光船も乗客は私一人の貸し切り状態。
登山の疲れを癒すには、絶好の船旅でした。
たしか、余りにも乗客が少ないので、その後、銀山湖の観光船は就航休止となったと聞いて居ります。美味しいところだけは、ちゃっかりと独り占め。
そんな意味でも、忘れられない船旅でした。お元気で。
by Yozakura (2017-08-30 14:03)
>Yozakuraさまは山男だったんですね。帰りの混浴温泉で一緒になった方も、40年前に山登りの帰りに立ち寄った縁で今でも来ると言っていました。
しかし銀山湖もダムが出来る前から小さな集落があったと聞きますし、福島からマタギが来たという話も残っています。当時は車などないのが当たり前、荷物は自分で背負うのが当たりまえとはいえ、今では想像もできない世界です。
わずか40年ですけど、時代ははるか昔ですね。船着場は今でもありますが、船は動いていないのかな?その割には朽ち果てていないので、いい時期だけ運行している可能性はありますね。
by 川越 (2017-08-30 16:13)
川越さま
返信を拝見しました。書き漏れに気付きましたので、感想の追記です。
4枚目と5枚目の写真の隅に、珍しい物が写っているのに気付きました。奥さまが活用していらっしゃる、登山用調理器具のコッフェルです。
その形状や、使用開始からの経年期間、写真の写り具合から類推するに、多分、エバニューの角型コッフェルでは?
私が愛用していたのは、さいころ形の大き目サイズのコッフェルの中に、それより一回り小さ目のコッフェルを入れ子式に収納出来る「二重方式のコッフェル」でした。
もともと、角型調理器具はザックに入れる際にも場所を塞がない上に、 しかも大小の異なるサイズで二重に収納出来る優れモノ。二つのコッフェルで同時に調理出来るので、時間も手短に片付くのです。
永らく使わない儘に、押入れの片隅で眠り続けていますが、川越氏の写真で一遍に記憶が蘇ってきました。
そのコッフェルで紅茶を淹れて、平ヶ岳の頂上でゴクゴクと飲み干したのです。山頂の湿原に敷設された木道には8月半ばにして既に、無数の赤蜻蛉が群がり、高く舞い上がり、また舞い降りて、足の踏み場も無いほど。
秋の訪れを実感し、季節の移ろいをしみじみと味わったものです。お元気で。
by Yozakura (2017-08-31 13:19)
>Yozakuraさま
隅々まで写真を見ていただいて、ありがとうございます。確かあのコッフェルはエバニューだったように思います。大小二つのコッフェルが入りますが、ラーメンを作るにも適当でよく持ち出しています。丸型も幾つかあるのですが、確かにザックに入れるには角形の方が入れやすいですね。
一人の時はメタもよく使います。軽くてラーメンくらいならすぐに作れるのもいいですね。キャンプだとさすがにガスストーブを使いますけど、燃焼の音がしないので動物が逃げないのがメタのメリットの一つです。(^^)
by 川越 (2017-08-31 14:49)
ご無沙汰しております。
とても元気そうなお二人を拝見できて嬉しいです。
来年は妻有トリエンナーレでしょうか、また雲海を見に遊びに行きたいです。
九月の声とともに急激に秋めいてしまいました。
気温の変化が激し過ぎますが、お身体に気をつけてお過ごし下さい。
by たいしょう (2017-09-02 04:46)
>たいしょう 様
うわぁ、お久しぶりですね〜。(^^)/
相変わらず温泉には行ってますか?
何度かメールしたんですが、音沙汰なしで忙しいのかと思っていました。
先日の温泉はアブが多くてのんびりできませんでしたが、急雨劇に秋めいてきたのでそろそろ大丈夫かもしれないですね。
こちらに来る時は是非連絡下さい。
by 川越 (2017-09-02 07:24)
川越さま
お尋ねのあった「銀山湖の観光船の就航時期」ですが、運営元のホーム・ページを探索してみますと、初夏から秋半ばに懸けて今でも盛んに運行している模様です。つまり、「水芭蕉から紅葉の時季まで」の運行です。
ご関心あれば、以下の要素で検索なさってみて下さい。私が利用したのは多分、「尾瀬口コース」の観光船でしょう。
[奥只見湖、遊覧船、奥只見観光]
35年前は、運賃も今よりかなり安かった筈で、その意味でも「美味しい船旅」でした。
それと、書き込んでいる裡に記憶が蘇って来るのですが、平ヶ岳山頂の湿原で味わい深かったのが、高層湿原に広がる食虫植物でした。
平ヶ岳を始め、尾瀬ヶ原一帯には冬季に厖大な積雪があるため、其処彼処に湿原が形成されています。そして、山頂や湿原の付近では、多種多様な高山植物が繁茂しているのです。
で、その平ヶ岳湿原を特徴付けるのが、「ナガバノモウセンゴケ」と呼ばれる特異な食虫植物です。確か、北海道の天塩湿原と、その尾瀬ヶ原一帯にしか生息していない稀少な植物です。
一見、赤っぽい小さな長方形の葉が湿原から直立して生えているだけなのですが、
一旦、この葉に蜻蛉や蝶々が「あちこち飛び廻り、もう疲れたから一寸、ここらで羽根を休めよう」と毛氈苔に気安く止まりますと、
何と、その赤っぽい葉からジワジワと粘液が分泌され蜻蛉や蝶に纏わりつき、ほんの休憩の心算で停まっただけの昆虫は、何時の間にかその粘液に絡め取られ、
ジタバタと抵抗するも空しく、身動きもならず、その粘液に含まれる消化酵素により植物へ吸収され、そのナガバノモウセンゴケの栄養になって仕舞うのです。
現に、私が8月半ば過ぎに腰を下ろした頂上の木道でも、間違って木道から外れて湿原に舞い降りた赤蜻蛉数羽が、その長葉の毛氈苔にガッチリと捕捉され、ジタバタと羽根を振るわせていたのを確と目撃しました。
勿論、蜻蛉が幾ら抵抗しても、それは時間を空費するだけ。
既に、毛氈苔の長葉は内側へ丸まって赤蜻蛉をガッチリと抱え込み、離しません。蜻蛉は今や、消化酵素により溶かされ、毛氈苔の体内に吸収される運命に落ちたのですから、逃げようもなく、やがては羽根を遺して消えていくだけ。
虚しい抵抗を続ける蜻蛉の傍で、遺された別の蜻蛉の羽根が秋の微風に誘われたかの如くハタハタと震え、その幽かな羽音が時折、聞こえます。
砂糖をたっぷり溶かした紅茶を呑みながら、夏の終りと、そして、秋の始まりとをしみじみと感じたものです。
お元気で。
by Yozakura (2017-09-02 10:35)
>Yozakuraさま
丁寧にありがとうございます。
まだ9月というのに、だいぶ涼しくなりましたね。稲刈りがだいぶ進んでいるところあるようです。
ところで銀山の遊覧船はやっぱり動いているんですね。どうも綺麗な船着場だと思いました。この船着場のそばに「尾瀬三郎商店」というのがあり、20数年前にここで美味しい日本酒を買いました。今でも細々と売られているようで嬉しかったです。
湿原といえば食虫植物ですね。そちら方面は全然詳しくありませんが、幾つかの種類は見たことがあります。植物なのに昆虫を栄養にしなければいけないほどの環境ということでしょうけど、進化というのはすごいものだと感じますね。どうもありがとうございました。また行く機会があれば、気にしてみます。
by 川越 (2017-09-02 18:10)
川越さま
返信を拝見しました。
> 植物なのに---昆虫を栄養にしなければならないほどの
> 環境---ということでしょう。
鋭い御指摘です。
毛氈苔が繁茂していたのは、頂上へと続く高層湿原で、標高は凡そ2120mないし2130mくらいの高山地帯。前述した通り、冬季の降雪期間が長く、且つ積雪量も厖大なため(5m以上はあるでしょう )、植物本来の光合成による生存活動が時季的に著しく制限されています。
勢い、他の動植物の生命活動が旺盛な夏場に、生命活動に欠かせない栄養補給に、短期間で集中的に邁進する必要が生じます。その結果、周辺の環境に適合する過程に併せて毛氈苔自身が変容して往った結末が、現在の
「夏に活動する昆虫から専ら栄養補給する食虫植物としての生存形態」
と云う選択なのでしょう。
名にし負う豪雪地帯なので、山頂近くにも残雪が多く、1982年7月半ばに登頂した際には、頂上付近や少し離れた日陰の部分にも結構な残雪がありました。食虫植物と云う選択は、当然の帰結だ----と感嘆した記憶があります。
お元気で。
by Yozakura (2017-09-04 12:18)
>Yozakuraさま
なるほどねぇ、植物も生存のために姿を変えているというわけですね。
ところで新潟に引っ越した年は豪雪で、二階の窓が半分埋もれましたが、翌年は9月になっても山の中には雪が残っているところがありました。
今年も標高800mくらいのところではまだ雪がありましたが、銀山から見える山並みの沢にもずいぶん残雪が見えました。豪雪でなくても結構残っているもんですね。
by 川越 (2017-09-04 15:54)