今頃花見 [田舎暮らし]
ここいらへんの今年の桜はなぜか蕾が少なくて、満開でもまばらにしかならない。おまけに昨年末に亡くなってしまった地主のばあちゃんの夫婦桜に、フジ蔓が絡みついている。枝が折れたり、木が弱ってしまうのも嫌なので蔓を切り離して、ちょっとだけ桜の枝先をもらって来た。今年は花見ができないので、ばあちゃんを偲んで室内でささやかな花見ができればと思う。
山菜の季節が始まる [山菜と木の実]
うちのエリアはちょっと季節が遅かったけど、今日は近所の人がウドとコシアブラを少し持って来てくれた。ここのところ自転車で走るとコゴミもだいぶ伸びているので、そろそろいい時期かなと思っていつもの場所を偵察してきた。
まだ少し早かったけど二人で食べるにはいい感じ。ついでにウルイとフキノトウも少し採って来た。コゴミはスパゲッティかな?フキノトウは蕗味噌、ウドは味噌汁かな?
でもまだコシアブラはうちの前では葉が出ていない。多分連休明けくらいになりそうだけど、その頃には山菜採りも忙しくなるだろう。
足慣らしで峠へ [サイクリング]
紅葉と夏が過ぎ去る気持ちの良い風の秋もいいけど、全てが色づき暖かさが日毎に増す春の気持ち良さも捨てがたい。快晴の予報があったので今日も長野方面へ足慣らしに出かけてみた。
といっても長野県まで足を伸ばしたわけじゃなく、先日の旅行の帰りに通り抜けようとした山道があの日は通れなかったので、再度峠まで足を運んでみただけ。距離は45キロちょっとで3時間半。いつもより少し速かったみたい。
結果としては峠までは行けたけど、その先が全く除雪されてなくて苦労して登った4キロを引き返すことになった。でも峠付近で山から出てきた元気なばあちゃんと、世間話ができたのが収穫だった。また出会ってみたいばあちゃんだった。
この山道のイカリソウは薄紫ばかりで、この地域に白いイカリソウはないようだった。うちの周りは白ばかりだし、花の色にも地域性があるのだろうか?
一両編成の飯山線。秋にはSLも走ることがあるけど、ここ数年は話題に上がることがないから、もしかしたらもうやっていないのかもしれない。先日は「鉄ちゃん」同士のいざこざがニュースになっていたけど、沿線の木を切り倒したり線路内に入ったりと、なにかと悪いニュースに取り上げられるけど、写真に残したい雰囲気の電車があるのも事実だと思う。
やっと雪が消えそう [田舎暮らし]
数日前には冷え込んで朝は一面真っ白に霜が降りていた。でも流石にもう4月も終わろうとしているだけに、畑の雪も残すところ20センチ余りで所々地面も顔を出した。よくみれば昨年植えたニンニクの芽が5センチほど出ているのが見えるし、菜の花も潰れているけど元気に生きているようだ。
ところで今年の雪は量としては例年並みだったことは何度か書いたけど、ドカ雪だったのは確かで一晩に80センチが数日続くなんてことも何度かあった。そのせいか今年は山の木も倒れたり折れたりしているものが多く、なによりほとんど折れないはずの竹が写真のようにボッキリと折れている。特徴的なのは割れているんじゃなくて、完全に破断しているところ。
うちの畑の周りには孟宗竹が生えているけど、ほとんどの竹がこのように途中から折れている。おそらくドカ雪で竹を地面まで倒してしまい、その上に4mほどもどんどん積もってしまったので、さすがの竹も耐え切れなかったのだろう。縦に割れ目が入って折れているのはままあるけど、こんなふうに破裂したように竹が切れている光景は初めて見た。
長野県の松川渓谷温泉へ [国内旅行]
今年の2月にも出かけて行った長野県の松川渓谷温泉へ、相棒とまた出かけてきた。日、月の1泊2日なので他の宿泊客も2組だけ。その2組も露天温泉で30分も一緒にいないで出て行ってしまった。思えば車で移動して宿に入れば個室だし、露天温泉ではウイルスの心配もない。温泉旅行はこんな時にはぴったりの旅行かもしれない。
ところで上の写真はFujifilmX-E3のセルフで写したものだけど、タイマーの時間を10秒にセットしたつもりが、どうやら10カット写す指定になっていた。こういうフィルム時代の設定と全くズレた感覚がFujifilmカメラの使い難さだ。写真としてはこういうのもありだと思うので結果オーライだけど、改めて使いにくさを実感した。まっ、新しい機材に対応できない自分が悪いだけなんですけど。
幸い天候には恵まれて朝から快晴。気温は低かったけど景色も良くて温泉も最高。久しぶりに二人で、のんびりと気分的にも楽しく過ごしてくることができた。
帰りは隣町の津南町で、たまたま通った山道で地元では探しても見つからなかった薄紫のイカリソウがまとまって生えているところを見つけることができた。西の方では基本的に薄紫の花らしいけど、うちの周りでは白以外は全く見ることができないので、これにはびっくり。
その近くの山肌にはいくつかの魔女の家が(?)相棒が訪ねてみたが、生憎と入り口のドアは固く閉ざされて留守のようだった。(^^;
タグ:温泉
クロカンバイク完成! [サイクリング]
40年ほど前にすでにほとんど目にしなくなった、フランス製マファックのデルリン白レバー。プラスチックなのでマイナス10を超えるような寒い時でも指が冷たくない。自分の場合、昔はほとんど手袋を使わなかったので、これは結構重要だった。
手を加えたのはアウター受けの部分にネジを切って、アジャスターを付けたところ。ダートを降る時に後輪はブレーキを常に当て効きさせておきながら、ペダルはずっと回しておくような走り方をしていたので、後輪のブレーキシューがすぐに減ってしまい、アジャスターは必需品だった。
崖のような下りを走らないので、ポジションはごくノーマルになった。サドルもステム位置も高くなったので、その分をヘッド小物の袋ナットを背の高いものに交換し、ステムのコラムが出過ぎるのをカバー。
ついでにマウンテンバイクのVブレーキ用アウター受けを利用して、ワイヤーの流れをスムースに。アウターはアルミ製の軟弱なやつを使っていたので、ステンレス製に変更。フロントブレーキはこれまでに比べるとダイレクト感が増してソリッドな感じに。フロントブレーキは今までは左手だったけど、今回でフロントブレーキを右手で操作するように変更した。
あとはサドルバッグをつけて、リフレクターを付けた。リフレクターは本来後ろは赤だけど、手持ちが白しかないのでしょうがない。その分サドルバックには発光ダイオードで赤ランプがつく。ハンドルには一応ライトも付けてみた。
この自転車、昔はほぼ冬季専用みたいな使い方だったので、ボトル(水筒)を付けるところがない。水は鞄にしまっておかないと凍って飲めなくなるし、荒れた路面ではすぐに飛び出してしまうから付けなかったのだ。
インフレーターも振動で落ちてしまうので、せっかく後からダボを付けたけど意味がなかった。今は小型の高性能なインフレーターを持っているけど、ボトルがないのはきついのでなにかいいものがないかな。
手を加えたのはアウター受けの部分にネジを切って、アジャスターを付けたところ。ダートを降る時に後輪はブレーキを常に当て効きさせておきながら、ペダルはずっと回しておくような走り方をしていたので、後輪のブレーキシューがすぐに減ってしまい、アジャスターは必需品だった。
崖のような下りを走らないので、ポジションはごくノーマルになった。サドルもステム位置も高くなったので、その分をヘッド小物の袋ナットを背の高いものに交換し、ステムのコラムが出過ぎるのをカバー。
ついでにマウンテンバイクのVブレーキ用アウター受けを利用して、ワイヤーの流れをスムースに。アウターはアルミ製の軟弱なやつを使っていたので、ステンレス製に変更。フロントブレーキはこれまでに比べるとダイレクト感が増してソリッドな感じに。フロントブレーキは今までは左手だったけど、今回でフロントブレーキを右手で操作するように変更した。
あとはサドルバッグをつけて、リフレクターを付けた。リフレクターは本来後ろは赤だけど、手持ちが白しかないのでしょうがない。その分サドルバックには発光ダイオードで赤ランプがつく。ハンドルには一応ライトも付けてみた。
この自転車、昔はほぼ冬季専用みたいな使い方だったので、ボトル(水筒)を付けるところがない。水は鞄にしまっておかないと凍って飲めなくなるし、荒れた路面ではすぐに飛び出してしまうから付けなかったのだ。
インフレーターも振動で落ちてしまうので、せっかく後からダボを付けたけど意味がなかった。今は小型の高性能なインフレーターを持っているけど、ボトルがないのはきついのでなにかいいものがないかな。
40年前の自転車がすごくいい感じ [サイクリング]
数日前に組み上がった自転車で走ったのが、今年の初自転車でした。それが嬉しくて今日は午前中にちゃんと自転車ウエアに着替えて4時間、45キロくらい走ってきた。といっても頑張って走ったわけじゃなくて、息が乱れない程度に軽く走ってきた感じ。アベレージで見ればいつも通りの時速10キロ。でもざっと40年振りに乗った古い自転車の感じは、なんというか軽くカルチャーショック。
というのも、きついはずのところがなぜかよく走るように感じてしまう。あれっ、こんな感じじゃないはずなんだけど?
「そりゃギアが軽いんだから当然じゃないの?」と思われるかもしれませんが、MTBでも走っているコースなんで場所場所でどの程度のキツさかは分かっているつもりなんですが、なぜかよく進む感じがある。
いくつか思い当たるのは、1つにはチェーンの違い。昔のギアは5段で、今のロードは11段。ほぼ同じ幅に倍のギアが並ぶので、ギア板の厚さも間隔もチェーンの幅も当時よりもずっと薄くなっている。もちろん耐久性は今の方がないわけで、走っていて切れることもある。昔の規格は今より丈夫ってこと。ピストでも厚齒と薄歯じゃ踏んだ感じは結構違う。
2つには太い高性能チューブラータイヤ。ロードレーサーのタイヤは22ミリ幅くらいで、空気圧が7キロ前後もある。それが太さが3ミリくらい増えて空気圧は3分の1になっている。荒れた路面で跳ねてしまうのは圧倒的にロードのほうだし、駆動輪の太さはパワーを路面に伝える点で大きなメリットなんじゃないか。
3つめはあまり大きな違いとは思えないけど、チェーンライン。126ミリ幅に5段フリーなんで、その分を車輪のオフセット減少に当てているけど、普通のローギアの位置よりも1枚外の位置でローが使えるので、ちょっと有利なのかなと今日走っていて思った。
あとはクロモリのロングホイールベース&ロングリヤセンター、ってくらいしか頭に浮かばないけど、とにかくこれはどういうことなんだろうって感じ。明らかにクリンチャーの23Cのいいタイヤと言われるもので走るより、速いとは言わないけど、よく進む感が強い。
う〜ん、最先端とは言わないけど、それなりにいい機材を使ってきたので過去のパーツの方が走る感覚が強いってどうよ!って感じ。
やっぱり自転車はタイヤの太さ(空気量)としなやかさ、それにチェーンの厚さ、ギアの厚さからくる駆動効率が全てなのか?でも、もともとチェーン駆動の効率はすごく優れているはずなんで、そんなに変わることはないと思うんだけど。まっ、いい経験になったことは確かです。
今日も最後はイカリソウ
ところが古い自転車でショックを受けていたら、現在の自転車はもっと凄いことになっていて、タイヤは太くなって、チューブレスが当たり前のように使われているらしい。ギアチェンジも電動だし、ブレーキは油圧式のディスクブレーキだし、もう自分には出る幕はないなぁとつくづく感じました。まあ、年寄りは身の丈に合った自転車で余生を楽しみましょうか。
木こりの日 [薪ストーブ]
先日隣の集落の人がいきなり訪ねてきてくれた。どうやら雪が消えてきたので畑に行きたいのだが、杉の大木が倒れて道を塞いでいるので、それをどけて欲しいということらしい。隣の集落も概ね住んでいるのは年寄りばかり。チェーンソーもなければ人足もいなくて人伝に尋ねてくれたらしい。
現場を見ると確かに農道を塞いでいる。でもすでに倒れているので、難しいことはない。するとそばに生えている栗の木も倒して欲しいという。見れば半分枯れた大木だけど、こちらは倒せば再度道を塞ぐのはもちろん、結構な大木なので倒した後がちょっと面倒。
意味もなくイカリソウ
それでもなんとか日中には片付けることができた。喜んでもらえたし、こちらとしてもいい薪が手に入り、まだ割っていないものがあるので大変だけど、次の冬の薪はこれで十分かもしれない。早々とノルマ達成で気分的にはだいぶ楽になった。
夜になったら、たぶんモリアオガエルだと思うけど鳴き声が聞こえてきた。もう少し雪が消えると雨蛙や他のカエルの声も賑やかになるだろう。
どうやら完成 [サイクリング]
完成というとちょっと違うけど、一応形になって走ることができた。あとは40年の月日が変えてしまったポジションの微調整が必要だけど、とりあえずは完成。若かりし頃は崖のようなところを降りたりしたので、サドルを下げやすいようにフレームサイズを20ミリ小さく作ってあるし、ハンドルまでの距離も短いので、一般道しか走らない現在はその修正も必要になる。なるべく昔のパーツのままでやりたいけど、走って確かめながら妥協点を見つけよう。
イカリソウが咲いた
一抹の不安は、昔はローギアがもっと重いので走っていたのに、軽いチューブラーホイールとはいえこれでも少しギアが足りないような感じがすること。軽いホイールならMTBの太いタイヤよりも有利だと思っていたけど、寄る年波はそのアドバンテージを簡単に覆すらしい。当たり前か?(^^;
若かりし頃 [サイクリング]
この写真にもほとんど一緒に写っている古い友人が、前回に続いてさらに写真を送ってくれた。どうやら息子さんの結婚式があるので、写真を探していたついでらしい。ありがたいことだ。
たくさんの当時の写真を見ていると、ザ・スパイダースの「あの頃君は若かった」じゃないけど、懐かしさもあるけど、もう戻れない昔が思い出されてちょっと感傷的な気分になりそう。写真は個人的なものなので面白くもないでしょうから、説明はなしです。
たくさんの当時の写真を見ていると、ザ・スパイダースの「あの頃君は若かった」じゃないけど、懐かしさもあるけど、もう戻れない昔が思い出されてちょっと感傷的な気分になりそう。写真は個人的なものなので面白くもないでしょうから、説明はなしです。
カンパニョーロ 41T [サイクリング]
自転車を触っていると次々とそれに関する話がつながってくる。これは古い自転車の前ギアで、イタリアのカンパニョーロのもの。車のホイールでもありますよね。それの歯数が41個ついている。
今のロードレーサーの前ギアは前に2枚のギアついていて、小さいのは34個のギアがついているけど、昔は最小が42個だった。この数が小さい方が軽くなって、上りでは軽く走れるわけだけど当時は42よりも小さいのが付けられない設計だった。
ところがカンパニョーロでは1つだけ小さい41というを出していた。そうそう、かんがえてみれば今はギアの数を自分で選ぶことがほとんどできないけど、昔は自分の力や好みに合わせて自由に組み替えることができた。今は不便というよりも、それが当たり前の時代だった。
で、話を戻すと、この41のギアは若かりし頃、少しでも上りで楽をしようと手に入れたものだけど、使ってみるとレースではあまりメリットがないことに気がついた。それ以来お蔵入りしていたけど、古い友人が使いたいと言い出したので譲ることにした。今時こんなものを使うとは酔狂だけど、使っている自転車も古いものだからいいのだろう。
ところで雪がすごい勢いで溶けているのと並んで、山の木々の葉がどんどん芽生えている。2〜3日で全然違った感じになるので慌てて裏山を写したけど、逆光で全然緑が見えない。(^^;
今日はいきなり木こりの日になった。というのも、最近は急激に雪が溶けているんだけど、畑や田んぼの雪も溶けているので、気持ちがせいている農家の人は早く畑仕事がやりたい。だけど、畑に向かう道に大木が倒れていて機械が通れないらしい。
まだその道も雪の下なんだけどね。その倒木をどけて欲しいというのと、その周りにある木を倒して欲しいらしい。今朝はチェーンソーと斧を持って出かけてきます。こりゃ1日仕事だけど、これで次の冬の薪は揃いそうだ。
タイヤの在庫確認 [サイクリング]
長いこと自転車に関わってきて、少しだけ(短い期間)本気にレースをやっていたので今でもレース用タイヤの在庫がけっこうある。移住してからというもの、周辺のあまりの激坂ぶりにすっかりロードレーサーに乗らなくなってしまい(レーサーはギアが重くて坂が辛い上に、体重増加と体力激落ちもあり)、全く消費がない状態。
あまりに触らないでいるとゴム製品だけに劣化が激しくて、未使用なのに使えなくなったりする。幸いチェックした限りは20本ほどのタイヤは全く問題なし。でもいいタイヤをそれぞれに空気を入れていたら、やっぱりこれも乗らないとなぁと思い始めた。と言っても、それがなかなか難しいんだけど。
でも新しく手に入れたクロカン用タイヤ(上の写真)は、予想以上に素晴らしい作り。いつの時代も最高のタイヤは使うのがもったいないくらいだけど、使わないのももったいない。それに在庫にもけっこう太めのクロカンに使える高級高性能タイヤも何本か出てきたので、それも悩みどころ。どっちにしても贅沢な悩みだ。
ワクワク気分! [サイクリング]
40年も前に使っていた古い自転車を、なんとか走るようにしたいとあちこち手を加えていたら、すっかり気持ちが若い頃のようにウキウキしてきた。そう、昔は自転車が大好きだった。走るのはもちろん好きだったけど、機材としての自転車も好きだった。
この自転車もイタリア、フランス、イギリス、日本などから、使えるもの、気に入ったもので組み上げた。もちろんフレームはパイプ選びからカットの位置、寸法まで全て指定して作ってもらった。走りに行ってはフレームを改造し、パーツを組み換えたり、試行錯誤の果ての形。
今の自分にも使えるように少し手を加えているけど、あの頃の気持ちが蘇る。剥き出しのロー付けの跡、錆と傷だらけでとてもきれいな自転車じゃないけど、今更ながらに忘れていたワクワク感を思い出させてくれる。早く走り出したい。
昔の仲間とツーリング・・・かな?追記あり2 [サイクリング]
ちょっと見ると違いが全然わからないけど、ちょこちょこと変化があってもう少しで出来上がり。交換したのはサドル、ペダル、後ろのギア、チェーン、後ろの変速機、タイヤ、左のブレーキレバー。走るためにどうしても必要なワイヤー交換はまだ現物がなくてできていない。
ここはちょっとマニアックな話。後輪は古いレコードのラージフランジとマヴィック、#14プレーンの36H。エンド幅は126ミリだけど、ハブの中心を右にずらしておチョコを減らして強度アップ。16-18-21-24-28の5段ボスフリーを入れている。前輪はスモールフランジの32Hで、#14-15DB。
タイヤはヴィットリアの28Cを入れる予定だけど、たぶん後輪は30Cにすると思う。でもそのまえにクレメンのグリフォ61とネーべを復活させて、それを使ってみたい。太さは32C相当なので、空気圧はたぶん2気圧くらいで使えるはず。
調子に乗ってこの自転車で走っていた頃の仲間に写真を送ったら、「昔の仲間に声をかけて同じコースに走りに行こうか?」と、企画が持ち上がった。自分としてはもちろん断る理由はないけど、当時よく走っていた大弛峠や十国峠、三国峠、日光の裏男体林道なんかはもう超える脚がない気がする。いろは坂を上がって戦場ヶ原や小田代ヶ原を走るくらいならいいけどね。
もっとも当時に比べると峠道自体が舗装されたりして、楽になっているところもあるかもしれないし、逆に自転車では走れないところもある気がする。ともあれ、一様に歳を取った仲間と当時の機材で、思い出話に花を咲かせてのんびり走るのはとても楽しい気がする。実現するのが楽しみだ。
昔の友人がラインで写真を送ってくれた。
写真を見ると当時を思い出す。八ヶ岳に雪がつき始める頃になると、待ち兼ねたように中央線の新宿発23時55分発だったかの夜行列車に乗り込んで、小海線の信濃川上から走り出すのが常だった。冬の長野は寒くて、-16度なんてことも珍しくなかった。
1枚目は中央奥にいて、カメラを首から下げているのが自分。その前のほうに倒れている自転車がこの自転車です。大弛峠に向かう瑞牆山荘前辺りかな。
2枚目は中央にいてフードをかぶっているのが自分。これはもう峠近くだったと思う。
3枚目は前方にいてボケているのが自分だけど、この写真を写したときの記憶が蘇る。写真ってすごい。男体山の裏に回り込む林道の途中。
この2枚は裏男体林道の下りだと思う。当時はめちゃくちゃ荒れた林道で、いきなり1mくらいの幅で7〜80センチの深さの溝が出てきたりして、わぁわぁ騒ぎながら超面白かった。マウンテンバイクじゃやさしすぎてこの楽しさはわからない。やっぱり難しいけど、チューブラーじゃないと。今やったら肋骨が折れまくって、帰って来られないこと間違いなし。(^^;
アマンダ・クロカンバイク [サイクリング]
今、普段用のマウンテンバイクがそろそろ寿命がつきそうなので、新しいバイクを模索していたけど、もう少し楽にというかスポーティに走りたいと思い、40年以上前に使っていたアマンダ製クロスカントリー用のバイクをレストアすることにした。
マウンテンバイクに比べればギア比は断然重いけど、その分ホイール重量は半分以下になる。たぶんその重量差でギア比の重い分はカバーできるんじゃないかと想像しているけど、体力の劣化が激しい分どうなるか?概ね形はできたけど、あとはサドルを替えて、ハンドル周りに手を入れようと思ったけど、なんとなくこのままでもいいかという気がしてきた。
今のパーツに比べたら全てが比較にならないくらい使いにくいけど、当時はこれで普通に走っていたわけで、多分問題はないはず。ブレーキレバーはフロント用(写真右側)レバーが短くカットしてあるけど、これは河原のように荒れた林道をかっ飛ばして降るときに、いきなり出てくる障害物や溝に出くわし、パニックブレーキで思い切りレバーを引いてしまうのをなんとか避けたいと思い、指がすぐに掛からないよう使い難くしようとしたもの。
意識して使う分には何にも問題がない。今ならそんなことを考える必要もないくらい優れたブレーキばかりだけど、当時は急ブレーキでいきなり前転して痛い思いをするのをなんとかしたかった。まっ、あまり効果はなかったけどね。
まだタイヤも貼ってないし、そもそも手に入れてないから動かせないけど、今月中にはこの自転車で一度サイクリングをしてこようと思っている。