昔から山に入る人間は、必ず刃物を携行しました。作業のためという理由は当然ながら、非常事態に備えた装備でもあり、何も持たずに丸腰で入山する事は、山をなめた危険な行為とされたのです。

そして刃物にはまた別の目的もありました。それは異界に潜む者から身を守る護身用としての役割です。全てが白日の下に晒された現代となってもなお、山に入り生活する少数の人々は、いまでもその戒めを守っています。

たとえば腰鋸には必ず一番手前の刃が一つだけ大きく作られていますが、これは昔から「鬼刃(おにば)」と呼ばれています。機能的には切断作業の際に刃体を誘導し、切り屑を排除する役割をしますが、古くから山で遭遇した異界の者を倒すための武器、鬼を切るためのものとされています。


この腰鋸は秋田生まれで12歳から鋸の徒弟奉公を始め、新潟の三条に住んだという竹内英治作。古式に則った作りだというが、確かにいまの鋸には鬼刃が付いていないものも多い。

現実にはこんな小さな刃ひとつでなにができるのかと思いますが、鬼刃が付いていることで異界の者には絶大な効果があるとされたのでしょう。他に何も頼るものがない場合にそうした心の寄りどころがあったのは、気持ちをしっかりとするために役立ったのではと想像できます。こうした言い伝えを今に残した昔話しは「まんが日本昔ばなし」にもいくつかありますが「牛鬼淵(https://www.youtube.com/watch?v=VXE4pV6cp2s)」が代表的なものかもしれません。最初のアドレスは削除されていたので、再度変更しました。

またノコギリだけでなく刃物にも同様の言い伝えがあります。たとえば「山では必ず刃物を持ち歩け。あやかし(魔物)や山に化かされないためだ。握りに近い部分を一寸ほど刃引きをしておけ。刃引き部分は鬼切口といってあやかしを斬るところだ」といわれています。

ここで現代と過去で言葉の意味が違って伝わったものがあります。「刃引き」です。居合いや剣術でもこの「刃引き」という言葉を使いますが、その意味は「本来付いている刃を落として、切れなくする」です。

ところが昔は違う意味でした。本来刃先は拡大してみると微細なギザギザが付いていて、このギザギザが肉などを切り裂いて行きます。極論すればノコギリも包丁もその原理は一緒です。「刃引き」とは、この歯先が細かなギザギザで、一見凹凸のないきれいな状態から、少し荒いノコギリ状にしておくことでした。こうすることで刃持ちも良く、刃こぼれなどもある程度は防げたのでしょう。

戦国時代の武将たちが「寝刃をあわす」などといい、戦の前には研いだ刀をわざわざ玄関先に置かれた石などでこすって歯先を荒らしたのも同様の理由です。

現代でも獣の皮を剥ぐ作業の多いハンター達は、専用の刃物は包丁などと違ってかなり粗い研石を使います。日本では山やアウトドアで使う刃物というと、木や竹を削る機会が多く、そのためには綺麗な刃先が適していました。しかし仕留めた獲物を切るには荒い刃先が適しているのです(包丁の研石は1000〜2000番以上も使うが、ハンター用は180番〜300番程度が多い)。

「山にいるとな、あやかしが目の前に現れることがある。そんときは包丁でも鉈でもいい、刃物の背を目に当てろ。刃をあやかしに向けて目を守るんだ。刃引きした鬼切口が切ってなくてもいい。じゃないと目をほじくられるぞ」と、昔の人は言ったようです。山での不思議な体験の対処法もいろいろあったようですが、それはまたの機会に。