月、火曜日と仕事で長野県の鬼無里(きなさ)に行って来た。小さな村で鉄道からも離れているために人も少ないが、そのぶん昔の面影を残している。鬼無里の辺りには「青鬼(あおに)」と呼ばれる地区や、鬼にまつわる伝説などもいくつか残っているが、鬼無里の名前の由来が知られたものだろうか。

「むかし、天武天皇は信濃遷都を計画し、三野王(みぬのおう)、小錦下釆女臣筑羅(うねめのおみつくら)らを信濃に遣わした。使者は信州各地を巡視して候補地を探し、水内(みのち)の水無瀬(みなせ)こそふさわしいとなった。

これを知った土着の鬼どもは大いにあわて、『都など出来たら棲み家がなくなる。都が出来ぬよう、山を築いて邪魔しよう』と、一夜で山を築いた。鬼を憎んだ天皇は、阿部比羅夫(あべのひらふ)に命じて、鬼どもを退治させ、このときからこの山里に鬼はいなくなり、鬼無里と呼ばれるようになった」。


安曇野には道祖神や野仏の類いが多いと言うが、鬼無里も負けず劣らず道祖神が多く、道が分かれるところにはことごとく道祖神が置かれている。


「伝説の谷」と呼ばれる頂で、ちょうど太陽が雲の切れ間から光の帯を下ろして来た。


この辺りではちょうど稲刈りのシーズンだった。


何もないところだが、早朝の朝日は深い山並みを照らして美しかった。