先日の休みに群馬県の沼田に出かけた事はすでにブログにだしましたが、その宿泊地、南北に細長い越本集落には唯一401号線が貫いているのですが、その入り口には十二様が奉られています。

さらに面白い事に、越本と越後湯沢の十二峠を結ぶ直線には十二沢、十二社があります。もちろんこの社は山の入り口、茅やススキの平地が雑木林に変わる辺りにあるのはいうまでもありません。

十二様とは山の神様で、古くから山仕事が多かった越本では山への信仰心が強く、毎月12日には十二さまにお詣りし、その日は山仕事を休んだといいます。越本の歴史は古く、1596年に開山した音昌寺が今も残っています。

昔の言葉(音)に適当な漢字を当てはめたものが現代に残る地名などは、漢字に惑わされず音の意味を考えると良い場合が多いそうですが、この十二さまはそれに習えば本来は「獣人あるいは山に住む人(じゅうにん)」が当てはまるのでしょうか?もっともこの山の神様は12人の子供を産むからという説が一般的です。

ちなみに越本には「お諏訪さま」という行事があり、昔は「風祭り」といわれ「無風安全」を願ったといいます。山仕事が多かっただけに、風の強い日、吹雪の日を恐れたのでしょうが、無風安全を願う行事は珍しいように感じます。

ともあれ、現地にいたときにはあまり気にもしませんでしたが、どうも気になって地図をだしてみたら面白かったです。予想通り、村の上下2つの入り口の十二様、日本全国の山神様を奉る社の7割が集まるエリアと向き合う場所に付けられた十二沢に十二社。

小さな集落なのに400年もの歴史を持つ越本の古い寺の文献なども調べたいものです。しかし偶然とはいえ、今回の旅行でこの地を選んだのは、なにかしらの力が働いたのでしょうか?その割にはなにもなかったのですが。

今日のブログはほとんどの人には全く意味が分からないと思います。申し訳ありません。