少し前の話しですが、私がこの地区で行った最初の共同作業が「みちぶしん」だった。ところでこの「道普請(みちぶしん)」、最初に聞いたときには、恥ずかしながら全くなんのことかわからなかった。

生まれてこの方、こんな言葉は聞いた事もなく、「みちぶしん」という単語さえ、聞き間違いなのかそれで良いのかさえ判断がつかなかったのだ。

「みちぶしん」とは、田舎の様々な共同作業の一つで、生活用、農業用の道の点検と清掃と、道の周辺の草刈りや枝打ち、水路の清掃をすることだった。主に春と秋にやる作業で、田植えや稲刈りが終わっていっとき手があいた時期に行われる。

水路には冬の雪の間に様々なごみや枝、土砂などが溜まりますが、春になりそれらを取り除き、水の流れを良くするためのもの。作業の単位は「隣組」で、各組の班長が中心になって作業を進める。

必要な道具は、各自が出せるものを持ち寄って、自分ができる作業をするわけですが、なにも知らずに鎌など持って行くと、ずっと腰を屈めて草刈りをしなければいけないので、どんな道具を持って行くかはけっこう重要だったりする・・・が、これは後から気が付いた。

もちろん「無理をしない程度に」という大前提もあるし、集まるのは元気な若者のはずだけど、隣組に所属する男衆に若者なんていないことがほとんど。私が「若いもん」といわれるくらいで、ほとんどは70代中判以降、80代の人も少なからずいる。

病気や体力的に無理な人は参加を見合わせますが、1つの組に3〜4人しか男衆がいなければ、そうも言っていられない。でも、こういう共同作業をする事で周りの人達と話をする機会が増えるし、顔を覚えてもらう事もできるので、新入りとしては必要なことかもしれない。

以前は私の組でもこの作業が終わったら、夕方からはみんなで集まり酒を酌み交わしたらしい。ですが、今年からは集まりも悪く、みんな歳をとった事もあって、この飲み会は行われなくなったのはちょっと残念。

これが今でも続いていれば、お酒の力もあってより地元の人と打ち解ける事ができたのかもしれないけど、やはり歳には勝てない。こういう現実を見ていると、ほんとに人がいなくなって行くんだなぁと感じる。

一足先に移住した人の話では、「この1年半で何度葬儀があったか」というし、亡くならないまでも高齢になり、1人では生活がままならずに子供のところに引っ越す人も少なくないし、施設に入る人もいるようだ。

たぶんどこの集落でも同じでしょう。お年寄りがいなくなる事で少しづつ伝統も文化も消えてしまうようで、ちょっとしんみりとなる。でも元気な年寄りがたくさんいる事もまた事実で、90近くになっても朝早くから元気に畑に出て来る人もいるので、そんな人に昔話しを聞くのも楽しみのひとつ。

なんといっても彼らは時間に追われているわけじゃないので、話しは尽きる事がないし、地元の古い話しを聞くのは興味津々。でも言葉がときどきわからないんですよね〜。