こちらで暮らしはじめて6年目、毎年春になると近所の年寄りたちがストーブの灰をもらいに来る。ゴミなど、変なものを燃やさず、ナラやブナ、杉でできたストーブの灰は、囲炉裏やかまどがなくなってしまった田舎では、ちょっと貴重なものらしい。

ジャガイモを植えるときに半分に切って、切り口に灰をつける。ワラビなど山菜のアク抜き、渋柿の木の根本に撒くと甘い実を付ける、冬に野菜を貯蔵するのに切り口に灰をつけると痛まない、肥料として畑に撒く・・・などなど、使い方はいろいろあるらしい。最近手に入れた「工芸の博物誌」という本にも次のような記述があった。

ーーーーーーーーーー以下抜粋ーーーーーーーーーーー

それほど遠くない昔に、灰を商う商売があった。灰は家々でも蓄え、灰汁(アク)抜きに、洗剤に、肥料にと活用されてきた。市街地では多量の薪を消費する風呂屋をはじめ、家庭の台所から出る少量の灰も買い集められた。京都ではそれでも不足で、丹波から大量の灰を買い付け、丹波ではそのために灰を生産していた。

それらの灰はその灰汁で藍を染料化したり、絹を精錬しあるいは媒染剤などに重用されたのである。しかも灰汁を使い切った残灰は、そのままに釉薬などの資材となった。それは西陣織や友禅などの染織りや清水焼を底辺で支える資源だったのである。

かつて灰は廃棄物ではなく大事な資源であった。灰を活かす文化は、ものの価値を最大限に生かしゴミを生まぬ文化の典型である。自然環境型のこの文化は、物を生かしきらねば暮らしが立たぬ物質的な貧しさの裏返しであり、物が自然に還元される自然物であるからこそ成り立つものでもあろう。しかしまた、自然と向かい合い、知識を蓄え、知恵を働かせてきた営営たる営みの結晶に違いないのである。