少し前に「鬼を見た話し」を思わせぶりに書いてしまいましたが、どうも「そっとしておいてくれ」と言われているような気がしてしまい、伏せておいたほうが良いような気がしてしまいました。ごめんなさい。

代わりに同じ地域の別の話しを。

あれはもう30年ほども前のことです。友人の実家は雪国の小さな町だけど、大きな町と繋がる峠の麓にタクシー会社があった。その1台がある雨の深夜に客を降ろして峠を帰路に向かっていた。この峠、いまでこそ雪よけのシェードやトンネルがあるが、当時はまだ雪崩や崖崩れがあったり、夏でも道を外して転落する車がある狭く険しい峠で、年に数度通るたびに新たな車の残骸を谷底に見ることができた。

その街灯もない暗い曲がりくねった峠道を進むと、傘も持たずずぶ濡れの女性がタクシーを止めようと手を挙げた。「こんなところで女1人なんて・・・」と、訝しげにその女客を乗せると行き先を確認した。ルームミラーにもちゃんと写っていた。

車を走らせたが、口数はなく行き先を言った後はずっと黙ったままだった。道中はミラーにも写らなくなったが、濡れているし夜中だから「横になっているのだろう」と先を急ぐ。ところが目的地に着くと、後ろの座席にいたはずの女性の姿は・・・なくなっていたといえば怪談話だが、実際はちょっと違った。

後ろのシートにはずぶ濡れのシカがちょこんと座っていたのだ。乗せたのは確かに女性だった。なによりシカはタクシーには乗らない。ドライバーはこの事件ですっかり混乱したのか、その後は仕事もできなくなってしまった。だがシカは目的地の家でその後も飼われることとなった。なぜかタクシーを降りても逃げなかったので、しかたなく飼うようになったのだという。私もその庭先で飼われているシカは見たことがあるが、ごく普通のシカだった。