忙しくなると現実逃避がしたくなるのか、いきなり思いもしなかったことが思い出されたりする。もう20年以上も前の夏の話しだけど、当時の彼女は赤坂に住んでいて、小さなバーのママだった。なので週末の休みは一緒に過ごしていたのだけど帰りは遅く、あるとき彼女の部屋に先に戻っていたときのこと。

彼女の部屋というのは不思議なところで、彼女いわく「ここにはいるのよ」と聞かされていた。彼女自身は全くそんなことを気にしない質で、「たぶん男ね」と言っていた。

面白いことに洗濯物を部屋に干していると、彼女の下着だけが揺れるのだ。同じように小さなハンカチや靴下などは揺れないのに、パンティだけがいつまでも揺れている。それに錯覚だけど、壁から男の節ばった右手だけが出ていたこともある。

で、そんな部屋だけど特に恐い気持ちもなく彼女を待って過ごしていた。トイレに入りしばらくすると、玄関からトイレの前を歩く音がギシ、ギシとはっきり聞こえて来た。「あれっ?」と思ったけど、たいして疑いもせず「お帰り、ドア気が付かなかったよ。トイレだよ」と声に出すが返事がない。

トイレのドアはアコーディオンカーテンで、声が聞こえないってことはないし、そばにいれば気配も分かる。それでも足音は板の間を歩いているので、そそくさとトイレを出て「早かったね」と声をかけた・・・が、その言葉は最後まで続かなかった。

部屋に人影はなかったのだ。もちろん鍵も開いていない。さすがに恐くなってしまい、鍵を掴むとすぐに部屋を飛び出した。


赤坂という土地、どうやらあまりいいところではないらしい。小さなことでは雨の日に古くさい真っ赤なパンタロンスーツのロングヘアーの女性が、5mほど先で植え込みに消えて行ったり、白衣の男が壁から飛び出しては消えて行ったりしたのを見ている。もちろん錯覚だけど。

そういえばレベッカだったか、レコーディングスタジオで変な声が入ったとか、使えなくなったスタジオがあったのも赤坂だった。いまはテレビ局やその回りもすっかり変わってしまったけど、見えない彼らはいまでもいるのだろうか?