昨日は友人に頼まれて、千葉の房総半島でロードバイクの乗り方セミナーを開催して来た。鋸山の南に位置するエリアで、好天の中50キロあまりで上り下りの変化に富んだサイクリングが出来た。その途中、「大崩(おくずれ)」という地名があってビックリ。「かつては山崩れなどが多発した地域なのかな」などと、辺りを見回した。

その近くにあるのが「人骨山」。「ひとほねやま」と呼ぶようだが、大崩れで亡くなった方達の骨がでて来たのかと思っていたら、どうやらそうではないようだ。この人骨山にあったのは鬼伝説で、その伝説とは以下のようなものでした。

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この山には昔から鬼が住んでいて、鬼は毎年節分の日になると『娘を人身御供に差し出せ。もし今夜のうちに人骨山の頂上まで連れて来ないと村中に大きな災いが起きるぞ』と書き付けを村人の家に投げ入れた。村人達は夜がふけるのも忘れ相談したが良い知恵が浮かばない。

そのうち泣き伏していた娘が『私が犠牲になっても、村の難儀が救えるのなら、私は山へ参ります』と、両親や村人の止めるのを振り切って提灯を手に山へ登って行った。娘は帰って来ませんでした。そんなことが毎年続き、村から娘が消えて行きました。

あるとき国々を巡礼している旅の修験者がこの村に来ました。そして『私はこれと同じ話を琵琶湖の畔で聞いた事がある。その村では子牛程もある猛犬を使ってこの悪魔を退治したと聞く』と話した。

喜んだ村人達は旅の支度もそこそこに遠い近江の国(現 滋賀県)まで行き、ドン太郎という犬を借りて来た。その翌年の節分の夜、いよいよ犬を山へ追い上げた。その夜は人骨山が一晩中蝎動し、村人達は恐れおののいて一夜を過ごしたというが、明け方には静まり、ドン太郎も無事戻って来た。

しかし村人は娘を差し出した家の両親や兄弟の心情を思い、節分の日を思い出す行事はしない事にし、今でも大崩の畑地区では節分の日に豆まきをしない風習が守られているという。その後、山には鬼に喰われた娘達の骨が残っていたために、人骨山と呼ばれるようになった。
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ところで、この伝承では納得できないものがある。まあ伝承なので細かな事をいうのもなんだが、しかし人骨山は鬼の伝承以前からの名前なのだから、これでは順番が逆になってしまう。それを不思議に思うと人骨山にあるのは鬼伝説だけではなかった。

というのも、この人骨山は姥捨山だったらしい。そもそも多くの場合、鬼とは様々な理由から人が転化するもので、今昔物語には「人里離れた山に棲む老婆は鬼と化す」とあるし、人骨山の由来はこの姥捨山に捨てられた多くの老人から来ていることを想像させる。そして鬼伝説の由来も、あるいはここに捨てられた人が生き長らえ、始まったのかも知れない。意外なところから鬼の伝承が見つかりました。