以前「いなかの伝承」カテゴリーで、千葉県の「人骨山」について書いた事がありましたが、先日房総に行ったときに近くを通りました。それでまた少し調べてみたのですが、どうやら房総半島というのは面白いところで、全国で2,500ほどある貝塚のうち500が千葉県にあるようです。さらに古墳の数は千葉県内に12,000基もあって、全国1、2を争うようです。

ところが回りをぐるりと海に囲まれた房総半島にあって、この人骨山の辺りは貝塚が発見されていません。貝塚の生まれた背景はまだはっきりとわかっていないようですが、人がいなければできないことは間違いがなく、過去の記事に書いたように「人骨山のある辺りは昔はあまり人が多くなかった」という話しと符合するようです。人骨山の回りは「大崩(おくずれ)」という地名があちこちにあるので、そんな土地柄なのかもしれません。

さらに新しく見つけた情報は、「人骨山は里見城ののろし台が設けられていた場所」ということでした。人骨山に登った事はありませんが、ネットで見る人骨山の頂上は見晴らしが良く、高い山のない房総半島はこの人骨山からは内房も外房も、三浦半島さえもが見渡せて、のろし台を置く場所にはピッタリ。頂上付近の地形も小さな城を置いていたと思える場所のようでした。もっともこの城については私は知識がないので、ネットにあったものの受け売りです。

ここで里見氏の埋蔵金伝説がふたたび思い出されて来ました。埋蔵金伝説については「(人骨山の人食い鬼・3)http://photo-bici.blog.so-net.ne.jp/2013-12-12」で書きましたが、そのとき「本命の小松寺ではなく信憑性が薄い富浦のほうが案外本命では?」と想像しました。その想像も今回ののろし台、回りに人が住まなかった地理的環境などと相まって、ますますこちらが本命なんじゃないだろうかと思い始めました。

里見氏が房総で活躍したのは500年前から350年ほど前までのこと。人骨山の鬼伝説がいつ頃のことなのかわかりませんが、またの機会に調べる事ができればと思っています。ところで房総半島の里見城の下で生まれ育った私ですが、この里見家は鎌倉時代以降新潟県十日町に所領を得、越後とは縁の深い関係らしく、なんとなく自分と十日町の縁をこじつけたくなる話しです。