レンズが好きで、違いがわかりもしないのに旧エルマー、ヘクトール、ズミクロンにタンバール。エルマリート1stのドイツ玉、プラナーにウルトロン、ズマロン3.5/35、オルソメター35、いろいろな名レンズを手に入れて来た。

名レンズと呼ばれるだけに、どれもがとても気に入っていたのに、いつの間にか全て手元を離れてしまった。好きで手放したものばかりじゃないけど、それでも手放したということはそこまでの執着心が持てなかったのだと思う。

切れ切れのシャープなレンズが好みじゃないのはわかっているし、ボケの綺麗なレンズが好きなのは誰もが同じだと思うけど、今手元に残っているRFのレンズはどれも普通のレンズばかり(でもないかな?)。

エルマー6.5センチとテリート20センチはヴィゾ用で特殊だけど、エルマー9センチ、球面ズミ35に、50ミリはズマールf2.0、シムラーf1.4、千代田光学スーパーロッコールf2.0、ゾンネタールf1.1の4本。そしてストリートスナップでメインのキャノン19ミリ。

ゾンネタール、球面ズミ、キャノンを別にすればヤフオクに出しても売れないものばかり。でも何度か出してはその都度引っ込めてしまったズマール、ロッコール、シムラー、テリートは、どこか自分の感性に引っかかるところがあるのかもしれない。

たぶんもう新しいレンズが増えることは、よほどのことがなければないとは思うけど、もちろん気になるレンズはまだいくつかある。いくつになっても物欲が消えずにしょうがない。あっ、今年でついに「赤いちゃんちゃんこ」、今年は年男です。


ところで、この1年の田舎暮らしで一番変化があったのは精神的なところかもしれない。若くてバイタリティ溢れる人が闊歩する都会では、どうしたって「もう歳だ」という気持ちは拭いきれない。生活環境の中でも自分が「どうしても」と必要とされることも実感としてはない気がするし、若いモンと一緒に仕事するのもいろいろと疲れてしまう。

でも田舎暮らしでは周りがみんな一回り以上も上の人ばかり。なにもわからない新参者でも頼られることが多いのは嬉しい限りだし、年下の人からもそれなりにありがたがられている。

もっとも、頼られるのは基本的に体力的なことで、知識や経験が求められているわけじゃないけど、それだって気持ちの上ではずいぶん励みになる。こういう無意識の中の「必要とされている感」ってのは、生きて行く上でかなり重要なんじゃないかと気が付いた。