今日、廃材をもらえると聞いてお邪魔したら、その築100年以上の古い家の屋根裏から出てきたという、1尺8寸ほどの大きな鋸が捨ててあった。錆びていたけど致命的なものではないし、狂いも2箇所ほどあるだけ、歯の欠けもないので「もらってもいい?」と聞くと、あっさり譲ってもらえた。今ではこんな大きな鋸があっても、使い道がないのでそれも当然かもしれない。

しかし尺8寸の鋸は今では作ることができないサイズだし、丸太を切るには自分でも使いやすい大きさ。なので今では新旧の3本を持っているけど、この鋸は歯の付いている部分の寸法は同じだけど、首がさらに長くて全体では1〜1寸半ほど長いので2尺というのかもしれない。使った感じも微妙に長さを感じる。


最初に見たときは板が磨いてないので「土佐もの」かと思ったけど、どうも形が違う。タガネで打った銘はあるが、どうやら「中や」なにがしと書いてある。会津とも違うようなので、長野か関西かもしれない。

かつてはここでも2件の鍛冶屋があったとは聞いているが、農具を作る程度で鋸のような難しいものが作れる鍛冶屋ではなかったらしい。新潟といえば刃物が有名だけど、なぜか鋸と斧はほとんどないのはなぜなんだろう(訂正・かつては長岡に鋸鍛治が何十件とあったそうです)。山仕事をする人がいなかったとは思えないけど。この場所を考えれば長野あたりのものと考えるのが妥当だろうけど、案外三木などの西のものが入っていたのかもしれない。


握りはこれまでにないほど太くて、小指側が(下)徐々に太くなっている

全体的な形は古い鋸のように見え、槌の当たりの痕跡を見ると西洋鋼が一般的になってからの作りとも違って見えるが、鋼自体は玉鋼ではないようだ。西洋鋼か安来鋼だろうけど、鋼を手打ちで作ったような感じがする。しっかりした技術を受け継いだ職人が、小さな鍛冶屋でコツコツと手作りしたものだろうか。

鋼自体はかなりヤスリが乗りやすくて、目立てはやりやすい。これなら山仕事が終わった後で毎日の手入れも楽だっただろう。ともあれ、板の狂いも取れたし目立てもアサリだしも終わったので、この鋸も他の鋸と一緒に大事に使おうと思う。