たくさんの丁寧なコメント、ありがとうございます。レンズってやっぱり魅力的なんですよね。仲間がいて嬉しいです。(^^)/

自分の使っているレンズの話しはこれまでに何度もダラダラと書き綴って来たけど、意固地で思い込みが激しくて拘り屋さんで、細かいところが気になってしまうA型人間として、今現在の自分の好みを漠然とですが書いてみたいと思います。

最初に言っておきますと、たとえばコシナのビオゴン21/4.5のようなキッチリカッチリ、コントラストバッチリでカッキーンとシャープなレンズはすごいなぁとは思っても、欲しいとは思えないです。最近はGRD4の画像も初代に比べるとシャープすぎるなぁと感じてますが、これは良い悪いじゃなくて、完全に好みの問題なので、使っている方は怒らないでくださいね〜。

それからこれは戯れ言ですから、文字をあんまり見たくない方は素通りしてください。有意義な情報はないです。(^^)/



最初のうちはとにかくライカのレンズならなんでも良いような気がして、ズミタールと球面ズミ35を使い始めました。ただ当時(30年前)は全然写らないレンズで、あまり気に入らなかった気がします。無意識のうちにキャノンやニコンのシャープさが頭にあったのかもしれません。それで手放したんですが、今は球面ズミ35の比較的初期のものは買い戻しました。ズミタールも魅力ですが、ズマールとの違いがあるようなないような気がしたので、今はズマールの個性が好きで満足しています。

球面ズミ35は長い期間作られたし、レンズの設計はずっと同じらしいですけど、長い期間作られた故の違いがある事も確かですね。たぶんそれはガラスの成分の違い、コーティング違いが大きいのかと想像してますが、基本的に開放では独特のボケで絞ればこれも個性的なシャープ感です。私は開放でのボケはちょっとボケ過ぎるような気がして、あまり使いません。けっこういろいろな色のコーティングがありますよね。ガラスの成分については想像の域を出ませんが、鉛が使えるかどうかでも違いがあるのかな?でも写真するという意味では全く違いがないけど、これが難しいところですね。



コンタックスの頃からボケの綺麗なレンズが漠然と好みなのは気が付いていたけど、あまりに漠然とした感覚で、球面ズミやズミタールのボケは気に入らなかった記憶があります。当時は開放バ●で、なんでも開放で写せばボケが綺麗になるもんだと思い込んでいたんですからしょうがない。(^^;

その頃タンバールやヘクトール73ミリの幻想的な写りを知ったものの、調べた値段にビックリ仰天。こりゃ〜絶対に一生買えないとガックリ。無知でした。ボケるレンズが好きなのはわかりましたが、その後運良くタンバールを使った事で、自分の好みは「これじゃない」と気が付いたのはとても良い経験でした。もっともこの迷レンズは1本1本写りが違うようですが。それと同時にヘクトール73ミリへの憧れもすっかりなくなりました。それで思ったのは、ボケは素直に大きくボケて行き、甘い(柔らかい?)中にもぴんを合わせたところはスッキリ。フレアや各種収差はわずかに残ったほうが良いというのが大まかな好みです。



その後RFも止めてしまい、10年ほど前からまた少しづつ使い始めました。最初はフォクトレンダーの素晴しい写りに、15ミリUWH、スコパー25ミリ、ウルトロン28ミリ、ノクトン50ミリを少しづつ手に入れ、喜んで使っていましたが、カラーは良いもののコントラストの強さがどうにも気に入らず、結局フォクトレンダーの性格の強さを持つ代表と思える15ミリ以外は全て手放しました。



古いレンズばかり選ぶようになって来て、「自分の好みは?」と考えたとき、ひとつはコントラストが無さ過ぎるのもダメだけど、コントラストがそんなに強くなくて立体感のある、繊細なレンズといえそう。「シャープ」という言葉を使っていましたが、今日出している写真を見ながら、「これは好みだけどシャープなのか?」という疑問がでてきて、「シャープ」という言葉はなんだか違う気がして外しました。

その後手に入れたレンズが旧エルマー。エルマーは3本使いましたが、開放からビックリするようなシャープ感。痺れました。それでエルマーは旧を残して手放しましたが、その後このシャープ感も自分の好みとはちょっと違うと手放しました。でもちょっと惜しい気持ちもあります。エルマーはどれも良いレンズだと思います。

そしてヘクトール5センチ。開放ではバックにグルグルがでることがあるけど、日の丸構図でf6.3くらいまでで少し絞って使うと見事な立体感と抜けの良さ。このレンズは強い光には弱いので日中はあまり良い感触がありませんが、雨の日や日暮れどきの淡い光の中で、比較的短距離でバックを入れて写すと良い感じで、室内も良いです。ヘクトールも単層コーティングの古いものとコーティングなしを使いましたが、結局コーティングなしを残して今は満足してます。

抜けの良さってのも曖昧な表現ですけど、たぶんこれは3群4枚や、3群6枚などのレンズ構成(枚数)が全てといえるくらい、影響が大きい気がします。でもヘクトールはたぶん、癖を掴んでうまく使うのが難しいレンズ。そのかわりハマれば痺れます。なかなか自分には痺れるような写真が撮れないのが文字通り玉に傷ですが。

同様にズマロン35/3.5もけっこう収差が残っているけど、これも立体感のある良い描写をするレンズだと思ってます。絞ってシャープ感を出しても立体感がなくならないのはヘクトールなど他のレンズと同じですね。そういう意味ではズマールも同様かも。ただズマールはヘクトールなどと比べると、かなりスッキリと写るレンズだと思います。濡れたような写りをするレンズともいえますが、そういうところが面白いです。

立体感ってすごく曖昧な表現だと思うけど、これって各種の収差や周辺光量が関係しているんじゃないかと想像するんですけど、バックのボケが大きくて蕩けるから立体感があるってもんでもないですし、コーティングが良くてコントラストが強く解像度が高くてスッキリ見えるから立体感が良いってこともないですよね。最近感じるのは高性能になればなるほど立体感が消えて行く傾向があるんじゃないかってこと。あくまでも勝手な印象で技術的な事はわかりませんけど。

絵や写真の立体感は、頭のなかで再描写することで立体と認識しているとコメントで教えて頂きましたが、だとすると立体感があると感じる写真は、その錯覚を起こしやすくする状況をうまく作り出している写真なのかもしれません。

どうすれば錯覚しやすいのかは想像でしかないけど、キッチリ写った部分の回りに曖昧な写りの部分が多いほうが良いのかもしれない。それも距離に応じてスムースにうまくボケてくれたほうが、唐突にボケたり汚いボケよりも想像しやすくなるんじゃないだろうか。

それになんでもかんでもキッチリ写ってしまうと、判断する情報が多すぎてはっきりと見えてしまい、のっぺりとした平面的なものとして判断してしまい、錯覚を起こし難いんじゃないかなんて考えてしまいます。そう考えると、ノンコートの古いレンズが好みというのも、あながち間違っていないような気がして来ます。

今のレンズはサンプル見るだけでも、ものすごく良く写るのはわかるんですけどね。ただカメラライターのインプレッションで「CGかと錯覚するほど凄い写り」みたいな表現を見つけると、「理想はCGかよ!」って、ガックリきます。こういうの読むと「写真のことわかってないなぁ」と、自分の事は棚に上げて思ってしまいますが、確かに「イラストかい?」って思う描写が多い今日この頃です。

で、結局なにがいいかっていうと、コーティングなし(あっても単層)でレンズ枚数が少ないもの。そして一番大事なのが、そのレンズの描写が好きかどうかってところに行っちゃうんですけど、球面ズミ35やエルマリート28の1stも大好きな自分としては、前半部分は全然客観的な説得力がないんですけどね。

でもまあ、レンズの好みは人それぞれ。好みに応じて好きなレンズを探しだして、それを使い込む楽しさは写真の善し悪しとはまた別かもしれませんが、楽しい趣味の世界だと思います。ここまでくだらない戯れ言に長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。