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恐かった話し・2 [その他]

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「恐い話し」じゃなくて「恐かった話し」など、誰も興味を持たないかもしれないけど、私にとっては何とも不可解で背筋に寒気が走った思いをしたことがいくつかある。大抵はすぐに忘れてしまうのが私のいいところでもあるが、ときになにかのきっかけで過去のそうした思いが溢れてくることがある。まさしく今がその時らしい。しばしお付き合い頂ければと思います。

あれはもう8〜9年前の9月中旬。福島県と新潟県の境に近い奥会津に渓流釣りを兼ねてキャンプ(しらかば公園キャンプ場)に行ったときのことだ。9月末の禁漁を前にいい釣りができればと、何度か訪れたことのある川だった。

小さな渓流で魚影は濃くないものの、サイズと形のいいヤマメやイワナが釣れるので気に入っていた川だ。ポツリポツリと釣りながら上流に上がって行くが、週末だというのに人影がない。珍しいこともあるものだと思うが、先行者がいないのは小さな渓流釣りではありがたい。

夏の日差しは川面を覆う木立で遮られ、水の冷たさと相まって夏を忘れるほど気持ちがいい。しばらく釣り上がると、目の前の小さな岩の上にGショック(腕時計)が唐突に落ちている。いや、置いてある?水面からわずかに出ている岩の上なので、ちょっと水位が上がれば水没してしまいそうで、理由がわからない。

もちろん辺りに人影はなく、川辺に足跡もない。ベルトは外れておらず、しっかりと輪になっているので、腕から滑り落ちたものではないようだ。「変なの?」と思いながらもそれを拾い、動いているのを確かめるとポケットに入れた。気分的にはちょっと気味悪いけど「もうけちゃった」ってもんだ。

さらに進むと川は浅くなり、水深はわずかに足首を隠す程度になった。そこで不用意にポケットから出したヴィクトリノックスのナイフを落としてしまった。川は白い砂地で水深は5センチ程度。浅いぶん流れは速いが足をとられるほどではなく、赤いポケットナイフはすぐに拾えるつもりだった。

ところが水は澄んでいて全てが見えるのに、足元に落としたナイフが見つからない。そばにいた相棒にも探してもらうがない。「えっ、どうして?」と思うが、底が浅く透明な川に落とした、真っ赤なナイフが見つからないのだ。

流れに乗って少し下流に流されたとしても、ナイフの重さと水量、水流を考えれば1mも流されるとは考えられない。「いや、落ちた拍子に砂が巻き上がり、埋もれたのかもしれない」とも考えて、軽く足元の砂を払ってみたが、無駄だった。

「狐につままれたようだ」とは、こんなことを言うのだろうか。しばらく2人で探したが、それ以上探しようもないので諦めたが、初めての海外旅行で買った20年以上も愛用していたナイフだけに、見つからないのがショックだった。

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水の冷たさに寒くなった相棒を先に川から上がらせて、気を取り直し上流に向かうが、変な雰囲気になって来た。背中に視線を感じるとでもいうのか、どこからか誰かに見られているような気がするのだ。ときどき振り返っては人影を探すが、見当たらない。

この川は両側が10mほどの崖になっているので、すぐに川から上がることができないが、そのぶん見通しのいいところも多い。釣り人が川に降りたくて崖の上にいるのではとも考えて崖の上も探すが、やっぱり誰もいない。

集中力がなく気持ちが削がれるのか、魚も釣れなくなってしまった。しかし相変わらず川の雰囲気は良く、いかにも釣れそうなポイントが続く。「あのヨレの底なら・・」、「あの岩の影なら・・・」と釣り続けるが、ぴくりともアタリがない。

諦めずにしばらく進むと目の前に大岩が現れて、その岩を巻いていいポイントがでてきた。「ここで出なけりゃ、もうこの川に魚はいないよ」、そんな絶好のポイントに見えた。ところがその絶好のポイントを前に足が止まった。釣る気持ちは十分、こちらからは見えないが大岩の先を曲がれば最高のポイントが待っているはずだった。

しかし気持ちの中に「先に行くな!」という強い思いが突如湧いて上がったのだ。「そこを曲がるな!」と誰かが言っているような、強い否定感を感じた。「え〜っ、ここなら絶対釣れるよ!」という気持ちも強く、大岩の手前からルアーを投げてみるがいいポイントには届かない。

恥ずかしながら、釣り人の「釣り欲」はかなりのものだ。それでも釣りたい気持ちよりも、「先に行くな!」という強い否定感が勝って戻ることにした。帰りの道中は全く釣りをせずに川から上がれる場所を探したが、その間も変な視線を感じたままだった。

やっと川から上がり暑い日差しが真夏を思い出させたが、長袖の下には鳥肌がいつまでも消えず、夏の日差しの中で背中はブルブルと震えていた。いつしか視線も感じなくなったが、拾ったはずの腕時計もいつのまにか消えてしまっていた。

いまでもごく稀に「もしもあの先に行っていたらどうだったんだろう?」と思い出す。見事な大ヤマメが釣れたのか、やっぱり何も釣れずにガッカリしたのか、あるいは足を滑らせて水没したのか。たぶん釣れずにがっかりするだけだっただろうとは思う。

ただ、臆病者の私は、もしもあのまま大岩の角を曲がっていたら、こちら側には二度と戻って来れなかったのではないかという気がしている。あれ以来奥会津には何度か向かったが、その川には立ち入ってない。

そういえば、こうした「誰かに見られている」って感じるときは、昔の人は「天狗に見られている」と言ったんじゃなかったかな?たぶん見えない目に見られているので、そんなふうに感じる人もいたんだろう。
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コメント 4

binbiilu

っていうような出来事を思い出しながら、
上のようなテントで一夜を明かすことってあります?
私はぜったい無理みたいです(笑)
by binbiilu (2011-03-02 12:57) 

上海狂人

そういうのを狸に化かされたとか狐につままれたと言ったんでしょうね。
そのGSHOCKは餌で、釣られるところだったかもしれません。残念ながら釣れなかったので代わりのものを盗られた。ナイフは身代わりだとおもったほうが宜しいでしょう。刃物は昔から魔除けにもなりますし。
by 上海狂人 (2011-03-02 17:29) 

川越

>binbiilu さま
そうなんですよねぇ。私は恐がりなんで、もしキャンプで思い出したら練られません。でも幸いなことに、おつむのできがあまり良くないので、すぐに忘れてしまうんです(^^; 思い出したときは恐いでしょうね。
by 川越 (2011-03-02 20:59) 

川越

>上海狂人 さま
まさしく、そんな感じです。腕時計はほんとに不思議です。もいちろんナイフが見つからないのも不思議なんですけど、時計は見つけ方も不自然だし、なくなりかたも不自然でした。

ナイフはほんとに身代わりだったのかもしれないと思います。魔除けになるというのは昔から聞いていて、山歩きを少ししていた頃から持ち歩いています。効果があるのかどうかわかりませんが、気持ちの支えにはなりますね。
by 川越 (2011-03-02 21:02) 

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