久々の研ぎ依頼 [研ぎと目立て]
今朝バイトから帰ると玄関にこの包丁が置いてあった。実はバイト先にお客様が来ていたことは知っていたけど、それがこの包丁を持ってきた人だったようで、私がいるのを知っていてバイト先に来たらしい。
運悪く私が奥にいたことで研ぎを頼めずに、私の家を聞いて持ってきてくれたらしい。今年は毎月の軽トラ市にも出られないので、包丁研ぎも全然やっていない。それに痺れを切らして持ってきてくれたのかもしれないけど、ありがたいことだ。
それに包丁研ぎを通じて、薪を持ってきてくれたり、木を切り出していいと言ってもらえることもあるので、研ぎの値段が3本まではまとめて500円という値段も無駄ではないようだ。
パプリカ [野菜]
今年は初めてパプリカを植えてみた。実が着いてから色が付くまで数ヶ月かかると聞いていたけど、大きくなったらすぐに色づいてくれた。今年の暑さが影響しているのか、それともこんなものなのか。どちらにしてもまだたくさん着いているので、今年はパプリカは買わなくても済みそうだ。でもこんなに簡単にできるなら、国産パプリカがもっと増えてもいいように思うけど。もしかしたら輸入品は比較にならないくらい安く入っているんだろうか?売値はそんなに安いとも思えないけどなぁ。
寒かった思い出 [アウトドア]
毎日暑すぎる日が続きますが、寒い思いをした記憶が目を覚ましたので、自分の昔の話を二つほど書いてみます。
今はもう全く山登りの真似事はやりませんが、40年ほど昔の12月、クリスマス前に北八ヶ岳・黒百合ヒュッテに宿泊し、翌朝快晴の天狗岳に登ったことがありました。無謀にもこれが初めての雪山登山。とはいえ、途中にはいくつも山小屋があるのであまり心配はなかった。
当時はクランポンもカンジキも北八くらいだと年内は使うことはなく、ヒュッテの親父も「木の根や草の根が切られるから、履かなくていいならそうしてくれ」と言ってた。私はといえば、どちらも持っておらず、この時期の北八なら大丈夫だろうと気楽な一人旅。
当時はこの時期だと人も少なく、ピタラスロープウェイから縞枯山荘前を過ぎ、雨池峠から縞枯山に上り、茶臼山を超え、大石峠に降りてから麦草峠に出て、白駒池から高見石小屋、そして中山峠から黒百合ヒュッテを目指した。
途中はもちろんロープウェイ駅を降りたのも一人、外に出たら全くトレースがなくて「こんなはずでは」と思いつつ、地図を見ながら心細く歩いていた。天気が良かったのが幸いだった。途中林の中で口笛が聞こえたので辺りを探したら、どうやら「ウソ(小鳥です)」だった。
積雪は少なく気温は低かったけど風もなく快晴で暑いくらい。ヤッケも上着も脱いで、手袋もウールキャップも外して登りました。ヒュッテまでは時間はかかったものの暗くなる前には到着して、ストーブの前で食事とお酒を少し。この日の宿泊客は私と看護婦さんがいただけ。ストーブに温まりながら、いろいろ話が弾んだが、翌日は別コースだった。
ヒュッテから天狗岳は目の前。この日も快晴で雲ひとつない。大した問題もなく山頂に到着。山頂には自分を含めて数人。コーヒーを入れようとポットからお湯を出そうと思った矢先、突然雲がモクモクと出て強い風が吹き始めたと思ったら、一気に気温が下がった。
コップに注いだお湯は注ぐそばから冷たくなり、薄氷が縁から張りだした。汗で濡れたTシャツの自分は「ヤバイ!何か着なくちゃ」と思ったが、頭がキーンと冷たくなりあっという間に体が冷えて膝を抱えて小さくなるのが先。
そばにあるザックからウインドブレーカーやシャツを出そうとしても、強張って思うように動かない体とザックのベルトが悴んだ指先では思うように外せず、頭では「早く何か着なくちゃ」と思いつつも体が動かないし、そもそも思考力も緊迫感がなくなっている。
当時のザックはワンタッチで外れるバックルなどなく、金属の板の溝にベルトを通して固定するタイプだったことも手間取った理由のひとつ。
一気に冷やされたことで頭も体も動かない。「冷えたら着ればいいじゃん」と、まさか一気にこんなふうになるとは考えたこともなかったが、標高2650mを超える冬の単独峰のような山では一風吹いたら気象変化も激しいのだ。
幸いすぐにまた日が射してことなきを得たが、冬の高山ではこんなこともあるのかと心に刻んだ。当時の山用ザックは外側にポケットもなく、アイゼンやピッケル以外はザックの中に入れるのが普通でしたが、それ以来最低限のウエアはザックの外に括るようにした。今も雨避けシートなどはザックのポケットなどに入れ、すぐに出せるようにしている。
もう一つ印象的だったのは、15年ほど前のやはり5月の連休後だったか、自転車の練習で埼玉の秩父方面の峠に走りに行った時のこと。秩父には4キロくらいの短い上りの峠がいくつもあり、自分なりに強度を調整して走れるのがいいとよく行っていた。
積乱雲が出るような快晴で大汗をかいて尾根まで上がったら、いきなりのミゾレまじりのひどい雷雨が降り出し、あっという間に息が白くなった。まさかこの時期にウインドブレーカーが必要になるとは考えず、上に着るものを何も持っていなかったし、「上ったらあとは降るだけだ」と、ここまでの100キロで補給食もなくなっていた。
大木の下で雨宿りするが、氷の粒が混ざった雨水が半袖短パンの体にへばりついて体温はどんどん下がって震えが止まらない。「ここにいたらまずい」と、坂を下ろうとするが、風を切るような行動は寒すぎてすでに無理だった。もう低体温症一歩手前の状態に差し掛かっていた。
震えながら大木の下で雨宿りするが、風が冷たく自転車を支えているのもキツくなってくる。「とにかくここにいたらダメだ、少しでも下に降りよう」と、体がいうことを聞くうちに歩きだす。
幸い100mほど休み休みなんとか降りると民家があった。恥ずかしいと言っていられる状態でもなく、何度も声をかけるが返事がないし、玄関ドアに鍵もかかっていた。軒下でわずかにみぞれは防げるが、濡れた体に冷たい風が辛い。
裏に回ると農具を入れる小屋があった。そこに冬用の長めのフィールドコートのような厚手のウエアがかけてあるのを発見。申し訳ないけど、それを着込んで風邪の当たらない奥の方で椅子に腰掛け小さくなった。「ああ、暖かい」と思えた。
いつしかその格好のままで寝ていたのか意識を失っていたのか。気がつけば雨も上がっていたが夕暮れが近かった。空腹と寒さでふるえが止まらないが、尾根で震えていた時よりはいい。10m自転車で下っては少し歩きを繰り返す。エネルギーがないので動いても体が暖まらない。
「集落まで降りればなんとかなるはず」と思ったが、そこまでが長い。やっと見つけた食堂は閉まっている。自販機もあるが季節柄冷たいものばかり。辛うじて秩父に来ると良く行くパン屋さんに飛び込む。しかしこの時間ではすでにパンは何もなかった。がっかりしていると奥様がインスタントコーヒーを出してくれた。この一杯がどれだけ体を温めてくれたことか。
「体の中に温かいものを入れると、これほど違うものか」鳥肌も収まり震えも消えた。これなら走ることができるし、ここからコンビニは遠くない。ということで、なんとか生還できたのでした。これ以来夏でもベストのレインウエアかウインドブレーカー、多めの補給食を持つようになりました。
冬の晴れ間と夏日のみぞれ。実は秩父ではこの後にも同じことを経験している。その時は友人と二人だったが、友人はやはり何も持っていなかった。もちろん私は薄手のレインウエアと補給食があったが、彼は相当寒い思いをしたはず。
今はもう全く山登りの真似事はやりませんが、40年ほど昔の12月、クリスマス前に北八ヶ岳・黒百合ヒュッテに宿泊し、翌朝快晴の天狗岳に登ったことがありました。無謀にもこれが初めての雪山登山。とはいえ、途中にはいくつも山小屋があるのであまり心配はなかった。
当時はクランポンもカンジキも北八くらいだと年内は使うことはなく、ヒュッテの親父も「木の根や草の根が切られるから、履かなくていいならそうしてくれ」と言ってた。私はといえば、どちらも持っておらず、この時期の北八なら大丈夫だろうと気楽な一人旅。
当時はこの時期だと人も少なく、ピタラスロープウェイから縞枯山荘前を過ぎ、雨池峠から縞枯山に上り、茶臼山を超え、大石峠に降りてから麦草峠に出て、白駒池から高見石小屋、そして中山峠から黒百合ヒュッテを目指した。
途中はもちろんロープウェイ駅を降りたのも一人、外に出たら全くトレースがなくて「こんなはずでは」と思いつつ、地図を見ながら心細く歩いていた。天気が良かったのが幸いだった。途中林の中で口笛が聞こえたので辺りを探したら、どうやら「ウソ(小鳥です)」だった。
積雪は少なく気温は低かったけど風もなく快晴で暑いくらい。ヤッケも上着も脱いで、手袋もウールキャップも外して登りました。ヒュッテまでは時間はかかったものの暗くなる前には到着して、ストーブの前で食事とお酒を少し。この日の宿泊客は私と看護婦さんがいただけ。ストーブに温まりながら、いろいろ話が弾んだが、翌日は別コースだった。
ヒュッテから天狗岳は目の前。この日も快晴で雲ひとつない。大した問題もなく山頂に到着。山頂には自分を含めて数人。コーヒーを入れようとポットからお湯を出そうと思った矢先、突然雲がモクモクと出て強い風が吹き始めたと思ったら、一気に気温が下がった。
コップに注いだお湯は注ぐそばから冷たくなり、薄氷が縁から張りだした。汗で濡れたTシャツの自分は「ヤバイ!何か着なくちゃ」と思ったが、頭がキーンと冷たくなりあっという間に体が冷えて膝を抱えて小さくなるのが先。
そばにあるザックからウインドブレーカーやシャツを出そうとしても、強張って思うように動かない体とザックのベルトが悴んだ指先では思うように外せず、頭では「早く何か着なくちゃ」と思いつつも体が動かないし、そもそも思考力も緊迫感がなくなっている。
当時のザックはワンタッチで外れるバックルなどなく、金属の板の溝にベルトを通して固定するタイプだったことも手間取った理由のひとつ。
一気に冷やされたことで頭も体も動かない。「冷えたら着ればいいじゃん」と、まさか一気にこんなふうになるとは考えたこともなかったが、標高2650mを超える冬の単独峰のような山では一風吹いたら気象変化も激しいのだ。
幸いすぐにまた日が射してことなきを得たが、冬の高山ではこんなこともあるのかと心に刻んだ。当時の山用ザックは外側にポケットもなく、アイゼンやピッケル以外はザックの中に入れるのが普通でしたが、それ以来最低限のウエアはザックの外に括るようにした。今も雨避けシートなどはザックのポケットなどに入れ、すぐに出せるようにしている。
もう一つ印象的だったのは、15年ほど前のやはり5月の連休後だったか、自転車の練習で埼玉の秩父方面の峠に走りに行った時のこと。秩父には4キロくらいの短い上りの峠がいくつもあり、自分なりに強度を調整して走れるのがいいとよく行っていた。
積乱雲が出るような快晴で大汗をかいて尾根まで上がったら、いきなりのミゾレまじりのひどい雷雨が降り出し、あっという間に息が白くなった。まさかこの時期にウインドブレーカーが必要になるとは考えず、上に着るものを何も持っていなかったし、「上ったらあとは降るだけだ」と、ここまでの100キロで補給食もなくなっていた。
大木の下で雨宿りするが、氷の粒が混ざった雨水が半袖短パンの体にへばりついて体温はどんどん下がって震えが止まらない。「ここにいたらまずい」と、坂を下ろうとするが、風を切るような行動は寒すぎてすでに無理だった。もう低体温症一歩手前の状態に差し掛かっていた。
震えながら大木の下で雨宿りするが、風が冷たく自転車を支えているのもキツくなってくる。「とにかくここにいたらダメだ、少しでも下に降りよう」と、体がいうことを聞くうちに歩きだす。
幸い100mほど休み休みなんとか降りると民家があった。恥ずかしいと言っていられる状態でもなく、何度も声をかけるが返事がないし、玄関ドアに鍵もかかっていた。軒下でわずかにみぞれは防げるが、濡れた体に冷たい風が辛い。
裏に回ると農具を入れる小屋があった。そこに冬用の長めのフィールドコートのような厚手のウエアがかけてあるのを発見。申し訳ないけど、それを着込んで風邪の当たらない奥の方で椅子に腰掛け小さくなった。「ああ、暖かい」と思えた。
いつしかその格好のままで寝ていたのか意識を失っていたのか。気がつけば雨も上がっていたが夕暮れが近かった。空腹と寒さでふるえが止まらないが、尾根で震えていた時よりはいい。10m自転車で下っては少し歩きを繰り返す。エネルギーがないので動いても体が暖まらない。
「集落まで降りればなんとかなるはず」と思ったが、そこまでが長い。やっと見つけた食堂は閉まっている。自販機もあるが季節柄冷たいものばかり。辛うじて秩父に来ると良く行くパン屋さんに飛び込む。しかしこの時間ではすでにパンは何もなかった。がっかりしていると奥様がインスタントコーヒーを出してくれた。この一杯がどれだけ体を温めてくれたことか。
「体の中に温かいものを入れると、これほど違うものか」鳥肌も収まり震えも消えた。これなら走ることができるし、ここからコンビニは遠くない。ということで、なんとか生還できたのでした。これ以来夏でもベストのレインウエアかウインドブレーカー、多めの補給食を持つようになりました。
冬の晴れ間と夏日のみぞれ。実は秩父ではこの後にも同じことを経験している。その時は友人と二人だったが、友人はやはり何も持っていなかった。もちろん私は薄手のレインウエアと補給食があったが、彼は相当寒い思いをしたはず。
キュウリ快調 [野菜]
鉢植えで栽培している4本のキュウリ。今のところは快調で毎日2〜4本収穫している。この写真も写す前に4本収穫してしまい、「ああ、採る前に撮ればよかった」と思ったところ。
鉢植えで土の量も少ないし、畑に植えた時と違って子ヅル、孫ツルと収穫するのは難しいだろうと思い、先日また4つの種を撒いて育てているのが1m近くにまで成長してきた。
この苗が成長してキュウリが収穫できる頃には、最初に植えたキュウリ苗はダメになる可能性もあるけど、その時は再度種を植えてみるつもり。
今年は黄色い小玉スイカを頂いたけど、これの種も採ってみた。今から植えるには遅いけど、来年は畑で少しスイカが採れたら嬉しいと、今から取らぬ狸の皮算用。そもそも発芽するのかな?
でも今年はどうもトマトの成長が良くない感じ。梅雨明けも遅かったし、その影響もあるのかもしれない。まだまだトマトは植えられるので、脇芽を4〜5本取ってあるけど、それを考えれば来月一杯くらいは食べられるだろう。
しかし今年は畑の雑草が凄まじい。これも長雨と暑さのせいだけど、草刈りが全然追いつかないのが悩みの種。
落語で涙? [その他]
使い回しの写真で申し訳なし
もうしばらくすると70になる。いつの間にか歳だけ取って、振り返っても何もないのが自分と思い知らされるけど、苦労はあったものの遊んでいたらいつの間にか歳を取っていたと思えばそれも随分贅沢なことなんだろう。若い頃から「能天気」「他力本願」などと言われていたけど、そんな気もする。
振り返れば良い人たちに囲まれたおかげで、助けられながらなんとかここまで来られた気がする。普通の人に言わせれば、そういうのはロクでなしというのだろう。
ところでいまだかつて「寄せ芸人伝」なんて漫画は読んだことはあったけど、落語なんて聞いたことがなかったし、聞きたいと思ったこともなく生きてきた。ところが何を思ったか、たまたま聞いた古典落語の「芝浜」が琴線のどこかに触れた。
おもしろおかしいとか悲しい、寂しい、うらやましい・・・そんな感情とはちょっと違う。そんなことがあるのかどうかわからないけど、自分のこれまで生きてきた時間が一気に押し寄せてきたような感情を超えた気持ち。人情話で気持ちが揺り動かされたのとは違うけど、訳もなく感情の堰が切れて涙がこぼれた。
いっときの時間をおいていまブログを書いていたら、随分昔こんなことがあったことを思い出した。あれは四十を前にした頃だった。
一月のうち家に帰るのが10日くらいと忙しくしていたある日、突然仕事ができなくなった。仕事をしたくないわけじゃない。PCを前にすると手が震えて頭が真っ白。一行の文字が書けない。
電話の音が怖くて電話に出られない、仕事が進まないのが気になって眠りたいのに眠れず、疲労ばかりが重なる。目が覚めてもベッドから起き出せない。あらゆるものが進まずに、この先に起こるだろことが怖くて体が震えて眠れない。なんとか起きて仕事に向かうも、無意識のうちに川沿いを歩き、突発的に飛び込んでしまいそうな自分に気がついて動けなくなった。
飛び込みって、絶望からそうしようと思ってする人もいるだろうけど、頭の中が空っぽで知らないうちにそうしてしまう人もいるんだろうと思った。そう思ったということは、頭の中にまだわずかに真っ当な部分も残っていたんだろう。それに気づいてからは無意識のうちにいなくならないように、歩く道にも注意をしていた。
ある日、安定剤を友人に分けてもらい飲んでみた。すると今までが馬鹿らしくなるくらい普通に近くなれた。少なくとも薬が効いている間はなんとか仕事もできる。こんなことなら早く飲めばよかったと思った。
随分あった薬が残り少なくなり、文字通りギリギリでなんとか仕事をやっつけて4ヶ月ほど過ぎた頃、なにも悲しいことがあるわけでもないのに、いきなりボロボロと涙が頬を落ちた。
そのときは「なんだこれ?」って思ったけど、いま落語の人情話を聞いて涙が出てきたことと通じる部分がある気がした。うまく言葉にはできないけど、これまで生きてきた時間を一瞬で振り返ったような、人生の後悔なのか願望だったのか。人情話で感極まったなら「落語もいいもんだなぁ」で終わるけど、もう少し唐突で感情の凹凸が少ない感じだった。
でもターミネーター観て泣く自分なので、涙壺が満杯になると一瞬で涙が溢れ出てくるのかもしれない。なんにしても、こんなブログを書くってのもどうかしているな。読む人もいないブログだから、まっ良いか。オチも何もないお目汚し、失礼いたしました。
三代目のキャベツが出てきた [野菜]
いまはうちでも夏野菜のきゅうり、ナス、ズッキーニ、プチトマトなどが日々収穫できているけど、キャベツを収穫したあとの芯から三代目になるキャベツの芽がワラワラと出てきた。また2本くらい残して、どこまで大きくなるか育ててみるつもりだけど、今度は虫に食べられないようにちゃんとネットを張った方がいいかも。でも春と違ってモンシロチョウは飛んでないから大丈夫かな?
来年の薪集め [薪ストーブ]
もう7月も後半に入った。今年の冬のための薪も雨の当たらないところに移動しなくてはいけない時期になってきたが、一昨日100mほど離れたところの婆ちゃんが訪ねて来て「薪はいらねえか?」と言ってきた。
このばあちゃん、前に藁を切る大きな刃物を研いだことがあるので知っていたけど、畑の周りに生えている木を切ったからとわざわざ来てくれた。
直線で100mくらいの距離だけど、その畑がちょっとした丘の上なので一輪車で薪を下ろすのもちょっと大変。でもこうして声をかけてくれるのは本当にありがたい。
とりあえずはたいした量ではないけど、この暑さの中で運ぶのは結構しんどい。体が鈍っているのもあるけど、「いつまでやれるやら」とつい頭によぎった。でも頑張って運こばないと。それに、今日もビールがうまいさ。(^^)
今朝は回復に向かい始めたかも [その他]
昨日は相棒のいきなりの高熱でびっくりしたけど、今朝は37度台に下がって表情も楽そうになっていたので、一応の安心。でも熱は朝に下がって夜に上がるパターンが多いから、まだ油断はできない。とりあえずこの連休最後の日も家で安静だな。しかしなんだったんだろう?
練習 [サイクリング]
写真は前回走った場所とほぼ同じポイント
今日は9月のサイクリングイベントの練習として、家の前からコース入りして一番キツそうな坂を走ってきた。距離はたいしたことなくて約21キロで獲得標高は532m。やたらと短いけど、上りがきついので、イベント当日はここまで走ることを考えるとちょっとハード。でも何度か走ってコースを覚えてしまえば、辛さも楽になると練習に出かけた。
ところがいつも元気な相棒がどうも元気がない。目的の坂をクリアして距離を伸ばそうと思っていたけど、「疲れたから帰る」と言い出した。確かに暑さもあって厳しいけど、そこまででもないだろうと思ったが、とりあえずは帰宅。
ところが一休みしていたら「寒気がする」と言い出し、熱を測ったら39度もある。「なんじゃこりゃ!」と、びっくりしたが、さすがに疲労困憊でここまで熱が上がるほどのコースではないはず。
たぶん職場で何かもらってきたのだろうが、ウイルス性のものならこっちにもうつる可能性がたっぷり。とりあえずはしっかり休んでもらうしかないが、困ったもんだ。
キュウリの第2弾 [野菜]
今年の我が家のキュウリは昨年のキュウリから取った種を栽培したものだけど、幸い毎日数本のきゅうりを食べている。まだ子ズルや孫ツルは出ていないので、今しばらくはキュウリが食べられるけど、今植えてあるキュウリのツルがダメになった頃には新たなキュウリが食べられるように、また4つぶ種を撒いた。
それが全部発芽してくれたので、いまキュウリのカーテンになっている横に並べてみた。一月くらいしたら一番上の写真の左側のスペースがキュウリで覆われているだろう。しかしキュウリの種は確かに発芽率がいい気がする。来年まで取っておいても大丈夫かな?
バースデイ [その他]
今日は相棒の誕生日。たまたま相棒が休みになったので、朝のうちに隣の柏崎市にあるパン屋さんに行き、今夜はワインで乾杯。どうやら相棒は今年で30になるらしいので、今年も元気にやってくれることだろう。ともあれ、気持ちも体も元気なのが一番だ。(^^)
キャベツの茎とイチジク [野菜]
鉢植えのキャベツの芯で作ったキャベツを収穫した話は昨日したけど、これは収穫後の鉢の様子。一つの芯から2つのキャベツを収穫したけど、たぶん一つにしたほうが大きなキャベツが収穫できると思う。
こちらはもう新しい芽が伸びてきているけど、本来はもっと切り口に近いところから出てくる芽の方がいい気がしている。まだ経験が1年しかないのでなんとも言えないけど、今年の秋、来年の春と経験を積んでいくとまたいい方法も見つかるかもしれない。
こちらは早生タイプのイチジクの様子。どちらも2年目の若い苗だけど、一つは13個の実が付いていて、もう一つは6つの実が付いている。これが9月いっぱいでどこまで熟してくれるかは全くわからないけど、他の鉢を合わせて今のところは30個くらいの実が付いている。いくつ食べられるか?今年は実がつくよりも苗を太らせようとしているので、実の味は二の次だけど食べられるのは楽しみ。
まあまあじゃね? [野菜]
キャベツの茎からできた第二世代キャベツ。今夜はこのキャベツも使ってポトフを相棒が作ってくれる。虫に喰われた葉っぱを外したら、玉のサイズはたいして大きくないけど、二人で食べるには十分かな?半分に割ってみたらスカスカってこともないし、鉢植えキャベツとしては良いんじゃないかって感じ。この調子で秋キャベツもできたら嬉しいけど、どうなるかな?
またカナヘビ [カメと爬虫類]
少し前にキャベツの葉っぱに包まれている子供のトカゲの写真を出したけど、今回はきゅうりの葉っぱに揺られている子供のトカゲ。キュウリの葉っぱはトゲトゲがあるけど気にならないんだろうか?
トカゲの類なら可愛いけど、以前一度だけマムシの幼体がカボチャの葉っぱだったか、その上でとぐろを巻いて日向ぼっこをしていたことがあり、びっくりしたことがある。青大将は別として、蛇はふつう木の上などあまり高いところにはいないけど、絶対じゃないから気をつけないと。
蛇自体は特別嫌いというわけじゃないけど、マムシは毒があるしけっこう逃げないので困る。他の蛇はもっと近寄りたいと思っているのに、すぐに逃げちゃうんだよなぁ。