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奈良井宿・2 [国内旅行]

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奈良井宿へ着いたのはもう日が暮れる寸前だったので、翌朝は早起きをして歩いてきた。それにしても、賑やかだった宿場町にしても道幅が広くでびっくり。通りは鍵状になっていたりして昔の面影が残っているけど、ほんとに昔もこんなに広い道だったのかな?これじゃあせっかくの鍵状の通りにした意味が薄れると思うけど。

町並みの雰囲気は昔の面影たっぷりで、海外のお客様が多いのも納得。でも宿場町に並んで鉄道が走り、国道も走る環境は当たり前とはいえ、当時の環境とは大きく違う。その中で古い町並みの中で普通に生活をしている人たちがいるけど、ここでの生活は自分たちの田舎暮らしとは比べられない不便があるんじゃないだろうか。

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コメント 2

minton

中仙道は東海道に並ぶ幹線道路だったので、当時はかなりの人がこの道を歩いたということですよね。
木曽路は道が少なくて他に選択肢がない(伊那路や秋葉街道はありますが)ので、江戸時代は多くの人でにぎわったのだろうと思います。
逆に今の時代のように車などに頼ることができたなら、中仙道はできていなかったと思います。
by minton (2021-11-08 13:51) 

川越

>mintonさま
すみません、レスするのを忘れていました。
そうなんですよね。多くの旅人が道中の疲れを癒すためにこの宿場を訪れたんでしょうね。でもこんなに広い道だと、外敵からの攻撃を考えていると思われる鍵状(クランク)の道も、道の広さで効果半減と思ってしまいました。

当時はこの宿場町にはどんなお店が並んでいたのか?宿屋はもちろん飲み食いできる店、賭場などもあったんでしょうね。公共の風呂屋なんてのもあって、賑やかだったんでしょうね。当時の風呂屋なら大きな湯船に混浴だろうし、おおらかな商売もあったんじゃないかなんて勝手に想像しちゃいます。(^^;
by 川越 (2021-11-09 08:56) 

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