14年の秋に新潟の豪雪地帯に移住。今年の雪は例年並みで一安心。ここでは日々の暮らしや、写真や刃物などを中心に書いてます。写真はクリックすると900ピクセルに拡大します。
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藤の花は派手に下がったのを愛でますが、ひと房の姿は可憐ですね。匂い、あまり良くないんだ。よくこの花に匂いがあったらと思うけど、あればあったで、ねえ。 by ムー (2021-05-16 21:25)
>ムーさんフジの花、山の中でよく目立ってきています。でもフジの花に巻きつかれた木はそのうちに太くなれずに折れてしまいます。だからフジの花が綺麗とばかりもいっていられません。もっとも今は林業もほとんどないので、倒れても誰も気にしないのかも知れません。うちの周りでは白と薄紫のフジの花が綺麗です。そういえばフジの花の天ぷらというのを一度食べたことがありました。「次はいいかな(いらない)」って感じでしたが、彩はよかったです。花の匂いって面白いですよね、いい香りのものがあったと思えば、鼻が曲がるようなのもあるし。(^^; でもそれぞれ花には都合ってもんがあるんでしょうねぇ。 by 川越 (2021-05-16 21:31)
川越さま 2週間遅れの返信にて、失礼します。 この日の美麗な花房の写真、構図が決まっていますね。斜め上から見下ろす角度が、花瓶から垂れ下がる藤の花を愛でるのに、御誂え向きなのです。 しかも、元はお酒の容器であったのか、藤を挿し入れた群青色の花瓶が、後ろの窓から射し込む自然の光を背に受けて涼やかに透き通り、室内の仄暗い下部へ向かって垂れ下がる薄紫の花房の美しさを、更に惹きたてて居ます。 これはもう誰が見ても、プロの写真家の作品と思い込むでしょう。 その昔、現代国語の教科書に掲載されていた、正岡子規の短歌が思い起こされました。 『瓶(かめ)にさす 藤の花房みじかければ 畳の上にとどかざりけり』 ネット百科事典やら、短歌関連ブログ等で調べますと、これは明示34年(西暦1901年)4月28日に発行された新聞《日本》に掲載された子規の随筆《墨汁一滴》の中で詠まれた連作十首の冒頭の一作なのだそうです。 当時の子規は脊椎カリエスを病み、全く立ち上がれず一歩も歩けないため、病床に臥せった侭に、下から藤の花房をただ只管、見上げてるしかなく、そのためこの構図での朗詠となったそうです。 短歌が実際に創作された情況と、お写真撮影の場面とは微妙に異なっているのやも知れませんが、死期の迫る子規が着実に捕捉した藤の美しさが、今こうして眼前に可視化された趣があり、感嘆しました。 掲載、有難う御座いました。 by Yozakura (2021-05-30 18:38)
>Yozakuraさまいつも何かと気にかけていただき、ついでにどこか褒めていただいているような気がします。プロの作品というのは褒めすぎですが、そういう雰囲気があるとしたら、写真好き、カメラ好きとしては身に余る光栄です。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。 by 川越 (2021-05-30 18:54)
藤の花は派手に下がったのを愛でますが、
ひと房の姿は可憐ですね。
匂い、あまり良くないんだ。
よくこの花に匂いがあったらと思うけど、
あればあったで、ねえ。
by ムー (2021-05-16 21:25)
>ムーさん
フジの花、山の中でよく目立ってきています。でもフジの花に巻きつかれた木はそのうちに太くなれずに折れてしまいます。だからフジの花が綺麗とばかりもいっていられません。もっとも今は林業もほとんどないので、倒れても誰も気にしないのかも知れません。うちの周りでは白と薄紫のフジの花が綺麗です。
そういえばフジの花の天ぷらというのを一度食べたことがありました。「次はいいかな(いらない)」って感じでしたが、彩はよかったです。花の匂いって面白いですよね、いい香りのものがあったと思えば、鼻が曲がるようなのもあるし。(^^; でもそれぞれ花には都合ってもんがあるんでしょうねぇ。
by 川越 (2021-05-16 21:31)
川越さま
2週間遅れの返信にて、失礼します。
この日の美麗な花房の写真、構図が決まっていますね。斜め上から見下ろす角度が、花瓶から垂れ下がる藤の花を愛でるのに、御誂え向きなのです。
しかも、元はお酒の容器であったのか、藤を挿し入れた群青色の花瓶が、後ろの窓から射し込む自然の光を背に受けて涼やかに透き通り、室内の仄暗い下部へ向かって垂れ下がる薄紫の花房の美しさを、更に惹きたてて居ます。
これはもう誰が見ても、プロの写真家の作品と思い込むでしょう。
その昔、現代国語の教科書に掲載されていた、正岡子規の短歌が思い起こされました。
『瓶(かめ)にさす 藤の花房みじかければ 畳の上にとどかざりけり』
ネット百科事典やら、短歌関連ブログ等で調べますと、これは明示34年(西暦1901年)4月28日に発行された新聞《日本》に掲載された子規の随筆《墨汁一滴》の中で詠まれた連作十首の冒頭の一作なのだそうです。
当時の子規は脊椎カリエスを病み、全く立ち上がれず一歩も歩けないため、病床に臥せった侭に、下から藤の花房をただ只管、見上げてるしかなく、そのためこの構図での朗詠となったそうです。
短歌が実際に創作された情況と、お写真撮影の場面とは微妙に異なっているのやも知れませんが、死期の迫る子規が着実に捕捉した藤の美しさが、今こうして眼前に可視化された趣があり、感嘆しました。
掲載、有難う御座いました。
by Yozakura (2021-05-30 18:38)
>Yozakuraさま
いつも何かと気にかけていただき、ついでにどこか褒めていただいているような気がします。プロの作品というのは褒めすぎですが、そういう雰囲気があるとしたら、写真好き、カメラ好きとしては身に余る光栄です。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
by 川越 (2021-05-30 18:54)