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お松の池 [いなかの伝承]

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以前うちの近くの集落のそばにある「牛池」の伝承を書いた気がする(https://photo-bici.blog.ss-blog.jp/2018-11-17)。内容は「昔、ある山の中に美しい水をたたえた深い池があった。その池からそう遠くない所に小さな山里があった。この山里のある家に、欲深な婆様と、気立ての優しい娘が住んでいた。

娘の織る反物はたいそうな銭になるので、婆様は娘を一日も休ませなかったので、娘の手や足は凍え、ひびわれていった。

ある日、窓辺に小鳥が迷い込み、娘は思わず見とれて機織りの調子を乱してしまい、縦糸がばっさりと切れてしまった。それを見た婆様は狂ったように『直さんうちは飯をやらない』と言った。

婆様が寝静まった夜中、娘は外へ出て泣き崩れていると、目の前に婆様の飼っている牛がいた。牛は娘を背中にのせて、月の光のなかをゆっくりと歩きだした。そうして牛と娘の姿は山の池のあたりで見えなくなった。それっきり誰もその姿を見たものは現れなかった。

牛と娘が消えた山の池は「牛池」と呼ばれるようになり、月の明るい晩に、機をおる音が聞こえてくるという」



この同じような伝承が残るのが、山を越えた魚沼丘陵の「お松の池」にもある。その話は以下のようなもの。

「遠方の温かい地より嫁いで来たお松は、姑から雪国の手仕事・機織の手ほどきを受けていた。機が織れて一人前とされた当時のこと、姑は機織に不慣れな嫁を早く一人前の機織にしたいと日々厳しく指導した。

お松は慣れぬ機織に努力を重ねたがなかなか上達せず、次第に気落ちしていった。『いつまでたっても不出来で、一所懸命教えてくれるおっかさまに申し訳ない。この一枚を織り上げたらお暇を頂こう』

お松は命を削るようにしてとうとう渾身の一枚を織り上げた。こうして織られた一枚はかつて無い見事な出来栄えで、大変な高値で引き取られた。姑はようやく素晴らしい織り手となった嫁を褒めようとしたが、その時既にお松は小栗山の上にある池に身を投げて命を絶ってしまった後だった。姑はこれを悔い悲しんで涙した」



写真の池がそのお松の池。ひっそりとして人も訪れない感じの牛池に比べると、人家も多くずっと垢抜けたお松の池。でも数十年前には人家も少なく、この池もひっそりとした佇まいだったのかもしれない。

昔からこの辺りでは雪深い冬の間、機織りは大事な収入源。嫁は器量や心根はともかく、機織りの上手下手が何より重要視された。機織り以外には収入源もなくなるこの地ではそんなこともごく当たり前のことだったのかもしれないし、嫁を仕込もうと躍起になるばあちゃんもごくごく当たり前のことだったのだろう。

同様の話は機織りの糸を植物の繊維から作る仕事ができるか否かが、嫁の良し悪しの基準という話も聞く。何も100年も昔の話ではなく、ほんの数十年前の話らしいが、時代はあっという間に変わってしまい、機織りの工場はすでに跡形もなく、織物の一大産地だった話だけが残っている。

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