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牧峠・今年最後のサイクリング? [サイクリング]

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右上のまつだい駅をスタートして、左回りで一周しました

昨日、今年最後になるかと思い、ここ数年行こうと思いつつもなかなか重い腰を上げられずにいた峠に行ってみることにした。それは新潟県上越市と長野県飯山市の境にある関田山脈の牧峠。

この峠には国定忠治にまつわる伝承が残されている。その伝承は以下の通り(いくつかの伝承を継ぎ足しています)。
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江戸時代後期、天保の大飢饉(1833-1839年)のころ、雪のちらつく11月頃に、牧峠の炭焼き小屋を旅芸人の一行が訪ねる。その中の一人が「私たちは旅芸人で諸国を回っている。重い病の者がいるので少し休ませてほしい」と炭焼きに申し出た。哀れに思った炭焼きは 「ここでは食べ物も横になる場所もないので我が家にきてはどうか?」と一行を自宅に案内した。

当時、村は飢饉で貧しかったが、炭焼きは旅芸人一行をとっておきの芋粥や山菜汁でもてなした。炭焼きの娘は病人を一所懸命に看病し、「飢饉のためこれから奉公に出されるのだ」と涙ながらに身の上を話した。話を聞いた親分風の男はお礼にお金をあげようとしたが、炭焼きは「お金を貰うつもりで看病したのではない」と固く断った。

そこで旅芸人一座は賭場を開いてくれと願いで、村人を交えて賭場が開かれたが、この賭場で芸人一座は大負けをすることになる。いうまでもなくわざと負けることで恩を受けた村人に金を残すためだった。

その時、「追手が迫っている」と知らせが入る。村人は雪のちらつく中、提灯をつけて峠まで一行を送って行った。大岩の前で村の長は「旅芸人の一行が国定忠治であること。ここからは罪になるので見送ることは出来ないこと」を告げた。

別れ際に忠治は涙を流しながら村人に感謝と別れの仁義を切った。村人が来た道を戻ろうとふと峠を振り返ると朝もやの中で忠治一行はこちらをいまだみており、ある者は深々と頭を下 げ、ある者は手を振りながら感謝の念を示していた。

その後、不思議なことに忠治が別れの仁義を切った地にあった大岩は次第に人の姿に変わっていったと伝えられる。罪人をかくまったため、この話は口外無用とされた。 その後、忠治は江戸で処刑されるが、上牧では義理人情に厚い恩人として密かに現代まで語り伝えられてきた。

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ということで、重い腰を上げたは良いけど、牧峠までは家から50キロ。峠の標高は970m。驚くような高さじゃないけど、雪深くてゴールデンウイーク明けにならないと開通しないので、今までなかなか行くことができなかった。

牧峠を越えると長野県の飯山市。以前は逆コースでとなりの伏野(ぶすの)峠を超えて帰ってきたけど、このときも峠を越えたは良いけど、うちまで帰り着くかというくらい疲労困憊した。その時は峠の麓まで飯山線を使ったのが、今回はぐるっと自走の予定だけに不安も大きい。

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写真中央の奥にある山脈が関田山脈。峠はもちろんこの山脈の上にある。

標高差がわからないけど、峠の高さは970mちょい。そこまでも小さな峠を4つも超えなければならず、おそらく峠までで標高差は1,000近いか、もう200mくらい多いだろう。案の定、やっと峠のある関田山脈が見える頃には、内腿がピクピクしはじめた。最近は調子が悪く、というか練習なんて全くしていないので体力も体調も落ちるばかり。40キロも山道を走れば両足がつって動けなくなることが珍しくない。

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ところで今回のルートはかつての塩の道を辿るルートでもある。途中の上牧には「口留番所」が置かれていた。越後から信濃へは塩はもちろん酒や米、信濃からは大豆や「こすき」と呼ばれる除雪用具なども運ばれていた。途中古い文献などを元に口留番所の跡が復元されていたが、それよりも、かつて使われていたと想像できる古い道を見ると、この急坂を荷車を引いて上がるのは無理だっただろうという思いが頭をよぎる。

この写真が当時の道というわけじゃないけど、狭い道の両側に並んだ古い杉並木を見ると、この道もかなり昔から使われていたように見える。ただ、今も残る古道はもっとずっと狭いようだ。もっとも前回サイクリングで走ったかつてのメイン道も、人が少ないとすぐに草木で覆われて道幅も無くなるので、往来があった頃はこの写真程度の広さだったのかもしれない。

そういえば以前野麦峠のボッカや新田次郎の剛力伝の話を書いたことがあるけど、冬になると馬や牛では荷を運ぶことができず、人が120〜200キロもの荷物を背負って峠を越えていたというが、この塩の道でも同じことが行われていたんじゃないだろうか。

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なんてことを考えていても足は軽くならない。前のギアは22T、後ろのギアは30Tなんてスーパー軽いギアのお世話になっても辛いものは辛い。写真は泣いているわけじゃなくて、汗を拭っているだけです。(^^;

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峠に着くのは午後2時になるかと思った道のりも、午後1時過ぎにはなんとか到着。日本海まで見える景色は最高だけど、紅葉には早かったのが残念。しかしこの道を冬に越えるにはどれほどの苦労があったことか。亡くなる人も珍しくなかったんじゃないだろうか。

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5時間かけて登った峠も下りは30分もかからない。まじかぁ。って感じ。でも長野側はやっぱり景色が違う。国道117号に降りれば千曲川に沿って降り基調。途中飯山線で帰ろうかと悩んだけど、本数が少なくて走って行くよりも遅くなりそうなので、30分ほどゆっくり休んだのちに出発。なんとか日が暮れる前に戻ることができた。

所要時間は休息を入れて9時間ちょうど。距離は102キロ強だけど、今回のサイクリングでこのところ自信がなくなっていた体力も、ちょっとだけ自信になった。残念だったのは、国定忠治の顔とされる、人面岩を見つけることができなかったこと。あまりにキツくて脇を見る余裕がなかったのか?でも近くにあるはずの風穴はわかったんだけどなぁ。
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