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また山の中の神様 [いなかの伝承]

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以前、うちの隣の集落の山の中をうろちょろしていたら、倒れた石の道標がああった。今は使われていない集落の名前だったので、それなりに古いのだろう。確かにその山奥には松苧神社と呼ばれる文化財に指定されている神社があり、かつてはそこに通じる街道の一つがあったらしいし、上杉謙信が戦の時に立ち寄る軍道でもあったという。でもいまは全く山道の痕跡すらないところなんだけど。

今日もオオムラサキさんが舞茸を採りたいというので、別の集落の山に入ったら、かつては使われていただろう道らしき窪みの脇に、秋葉さまなどと一緒にこんな神様が並んでいた。ここもかつては賑わいのある街道だったのかもしれない。

今日は他にも、昔は田んぼか畑だったと思えるような山中の小さな平地の脇に、雑草に埋もれた墓標がぽつりとあった。すでに誰もお参りする人もいないのだろうけど、山の中に人が暮した痕跡を見つけると、やっぱり手を合わせてしまう。

午後3時が過ぎ、天気もあやしく山の中はかなり暗くなり始め、オオムラサキさんに声をかけつつ、車を止めた道に降りると伝えたまでは良かったが、その後全く声が届かなくなった。

迷うような山でもないし、声をかけたところからは真っ直ぐに降りればいい。とはいえ、普通の人にとっては道も道標もない山の中で自分の位置を把握しながら元の場所に戻るのは、慣れないとかなり困難とも言えるので、次第に不安になってきた。

車に戻ってもやはりいない。しばらく車で待ったものの、山から降りてくる気配もないし雨も降り出した。不安になり今降りてきた山を、大声を出しながら通ったルートを遡り始めた時に、「しまった!今日は12日だった」と思い出してしまった。

こういうことは思い出さなければ何も問題ないけど、一旦思い出してしまうと始末が悪い。実は古い山の伝承では「毎月12日は山に入ってはならない」と言われている。この日は山神さまが山の木を数えるなどの伝承があるが、要はこの日は山仕事はやらずに大人しくしていなければならない。もしこの禁を破れば行方不明になったり、気が触れたりすると言われている。自分もできる限りこの縛は守るようにしていた。

いくら声をかけ、耳を澄ましてもたいして広くもない山で全然見つけられないと余計なことを考えてしまう。そもそも山の中では些細な油断で滑り落ちたり行方不明になることは、毎年のキノコ狩りで行方不明者が出るニュースがあるように、全く珍しいことじゃない。

最後にキノコを取った場所、最後に声をかけたところまで戻ったが姿はないし返事もない。危なそうな斜面を覗き込んでも見つからない。携帯はオオムラサキさんは電源を切っているので繋がらないが、iPadを持っているのでなんとかなるだろうと思いつつもあたりの暗さとともに不安が渦巻く。

なす術もなく、4時になっても戻らなければ警察に・・・と思った矢先、全く方向の違う下の方からオオムラサキさんの上ってくる姿が見えた。やれやれ。ともあれ無事でよかった。これでオオムラサキさんの舞茸ツアーは終了でした。
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