秋田のマタギナガサ [道具]
以前秋田の鍛冶屋に頼んでおいた、秋田鉈(ナガサ)が届いた。上の写真の大きな方がそうだけど、7寸でお願いしたら7寸五分ちょっとで届いた。手打ちなので正確な寸法とはいかないけど、もちろん気にしていない。
使った鋼は研ぐのが苦手な安来鋼の青紙は外してもらい、研ぎやすさを重視して、それでいて欠けたり捲れたりしないもの。それに応じて焼き入れの温度も少し低めに調節していただいた。
形は秋田の地元で「タテ」と呼ばれるもの。盾と矛のタテなんだろうと思ったけど、盾は防御のものだった。ちょっと調べたら熊槍と書いて「タテ」と読むらしい。語源は不明だけど、「マタギが熊槍を立てて山を歩くから」という説もあるらしい。
このタテ、基本的には刺すのに都合がいい形。もちろん自分にはこれでクマと戦う気持ちは全くないけど、魚を捌くにはいいかもしれない。
日本の片刃包丁のように裏が凹んでいるけど、これは削りとったものじゃなくてハンマーで叩いて凹ませている。鋤取っていないので鋼が薄くなることがないから研ぎ減らしても使えるし、軽くて切れ味もいい。それにしても手仕事で叩いて正確にこの形を作るのはどれほどの年期が必要なのか。
この裏が凹んだ刃物の形状は秋田独特のもの。雪山に獲物を求めて歩くマタギには、軽く丈夫で研ぎやすく、歯欠けがしにくい形状の刃物が求められて作られたものなんだろう。
普段は上の写真の小さい方を使っているけど、こちらは6寸(18センチ)で小型軽量。刃先も包丁のようにかなり繊細。そのぶん細かな作業にはぴったりでも、山では若干パワー不足を感じることもあり、今回の刃物となった。
こちらは以前使っていた同じ7寸のマタギナガサ。形は使いながら少し変えていたけど、これは欲しがる人がいたこともあって手放してしまった。でも自分の使い方には重くて刃先の形も合わなかった。今回のものはサイズの割にずっと軽くて、持ち出すのに悩むことはない感じ。少し手を入れて早速使い始めてみたい。
アサツキとノビルとニラ [山菜と木の実]
昨日の快晴と打って変わり、今日は雨模様。でもそろそろ川沿いに行けばイカリソウが咲いているかもしれないと思って出かけてみた。残念ながら咲いていたのは水仙とイチゲだけ。かわりにアサツキ、ノビル、ニラがあったので採って来て玄関先に植えてみた。どれも強いのですぐに根付くだろう。
うちでは相棒がいらないと言うから、アサツキもノビルもほとんど食べないけど、隣の婆ちゃんが好きなので、目に着いたら採るようにしている。ニラは柔らかいなら相棒も食べると思って、初めて採ってきた。野生のニラはなかなか目につかないけど、多分これも畑からタネが飛んできたものだろう。もちろん自分にはどちらでも良いので問題はなし。
ノビルとアサツキの違いは毎年わからなくなるけど、ネギのように真っ直ぐに伸びているのがアサツキで、クネクネしているのがノビル。たまに真っ直ぐに見えるノビルもあるけど、その際は球根を見れば玉ねぎ状の球根がノビルで、ラッキョウのようなのがアサツキで、下の写真は全部アサツキ。
ニラといえば、山菜の時期になると毎年スイセンを間違って食べて中毒を起こす人がいる。匂いの強いニラをどうして間違えるかなとも思うけど、まあ似ているといえば似ているかも。でもキツネのカミソリを食べる人は聞いたことがないから、時期的なもの?下の写真の上に生えているのがニラで、下のモシャモシャがノビル。
この菜の花はオオムラサキさんが埼玉に生えているのを送ってくれたものの子孫で、もう3年目の春になる。もちろん畑にも植えてあるけど、今年は違う畑に植え替えたのでどうなるかな?新芽を食べるのが好きなんだけど、食べちゃうと増えないし悩ましいところ。苗を植えれば良いだけなんだけどね。(^^;
カタクリとイチゲ [花・植物]
今日は天気が良かったので、近くの雪が溶けた斜面にカタクリを採りにじゃなくて、ちゃんと撮りに行ってみた。でも手抜きをして同じ斜面だったので、気がつけばみんな左向きで同じアングル。(^^; もう少し歩いて場所を変えながら写せば良かったと反省。
まだ咲いているのはカタクリとイチゲくらいだけど、もう数日すれば違う花も咲くかもしれない。そうしたらまた写しに行ってみよう。
お隣は春真っ盛り [田舎暮らし]
土曜日は朝まで少し雪が残ったけど、日中は日も射して来たのでお隣の上越市に相棒とお昼を食べに行ってきた。トンネルを越えれば雪国からいきなり春真っ盛り。桜は満開、コブシ、木蓮も咲き、菜の花はすっかり背も伸びて黄色い花を咲き誇っている。
毎年お隣の季節は2週間は違うと感じるけど、雪もほとんどない街中はまるで別世界。家に帰るときには違う世界に戻るような気がしてきた。
花冷え
桜が咲く頃に急に冷え込むことが多々ある。数年前にも花見をしていたら急に冷え込んで吹雪になり、危うく凍えそうになったことがある。案外4月になっても油断はできないものだ。そんなことから生まれたのが花冷えと言う言葉なんだろう。
こちらでもそろそろ桜の蕾が膨らみ始めた。来週末には花見ができるんじゃないかと思っていたら、今日は天気予報が見事に当たって雪が降り出した。大した雪じゃないけど、車の屋根が白くなる程度には降っている。まっ、花見はまだ早いからいいんだけどね。
ヤシカ・コンタックス ディスタゴン 4/18 [レンズ]
ディスタゴン4/18 をFujifilmX-E3のJPG、f4.0解放で写してみた。もっとレンズの個性がわかるような写真が撮れればいいけどご容赦。
焦点距離というか写る範囲は27ミリ相当。古いレンズということもあって、現代レンズに比べると解像度も逆光の耐性もないけど、カリカリのシャープ感よりもトーンで写す優しい感じが当時から好きなところ。サイズも思っていたよりずっとコンパクト。
キャノンのお気に入りの19ミリ、f3.5に比べると1ミリの違いだけど、使い方はちょっと変わる感触。横位置でコンタックスの方が少し垂直にシビアな感じがするのは、慣れの問題なのか焦点距離の問題なのかまだわからない。
それと遠近感の誇張がコンタックスの方が強く感じる。1ミリ広角なので当たり前と言えば当たり前だけど、距離感がCanonとは微妙に変化して迷ってしまう。まっ、これは慣れの問題か。周辺減光は開放で比べた場合、どちらもボディがフルサイズではないので影響は少ないけど、それでも圧倒的にコンタックスの方が少ない。
でもやっぱりこのレンズ、とても気に入ってしまった。4、5枚目の2枚は別カットをモノクロにしてみたけど、こっちもいい感じ。絞って写しても被写界深度が深くなるだけで大きな変化はない感じ。もちろん開放に比べればピンのシャープさはアップする。ちなみに25ミリも同じような傾向だったが、最短が25センチと18ミリよりもさらに寄れるのは強みかも。
最後のカットは比較にはならないけど、ライカM8.2とキャノン19ミリ、F3.5。RAWからのjpg変換。X-E3の写真と比べると画角も色味も違うのはしょうがないけど、やっぱり自分はライカとCanonの写し出してくれる世界が好きかもしれない。というか、M8.2の世界が好きなんだろうなぁ。
そう考えると、過去に25、28、50、85、300とコンタックスレンズを手放している(経済的理由が主とは言え)のは、手元に残したお気に入りのレンズがあるからなので、再度レンズを手に入れる必要はないってことになりそう。もちろん格安だったらまた迷っちゃうけど。(^^;
山菜狩りへ [山菜と木の実]
昨日は隣の十日町市で和食のお店を開いた女性二人を、友人シェフが山菜狩りに連れていくというので、一緒に山に向かうことになった。その場所も隣の集落というか町だけど、普段は地元の人しか入れない場所なんで、まあお付き合いという感じ。
幸い天気に恵まれて、気温は低いものの日差しは強くて暖か。桜の花もだいぶ開いていて、自分の地元では全く出ていないコゴミやワサビを少しだけ採ってきた。
V字谷を抜けていくので、単独ではもしものことがある。やはりこんな場所は複数で行くのがいい。雪解けの季節、沢の水が流れているところは注意するからまだいいけど、山肌になにも変化がないところでいきなり足元が抜けることもある。
自分もこの日は1度踏み抜いたけど、足の先には何もなかった。幸い足だけで済んだから何事もなくすんだけど、体が落ちればそのまま沢に落ちるか途中で引っかかってどっちみち助からない。この辺りでは珍しくもない事故になる。
でも途中カモシカに出会ったりしながら、沢を渡り、斜面を歩いて楽しく過ごしてきた。まだ時期が早いので山菜はたくさん採れるわけじゃないけど、初物ということで夜は酒のつまみになった。
懐かしのコンタックス [レンズ]
昨日はブログにコメントをくれるオオムラサキさんが同じ町内に引っ越しをしてきたので、少しだけ手伝いをしてきた。図書館ができるほどの書籍などがあり、今まで知らなかった趣味の世界のことも垣間見えた。
その中でも驚いたのがハッセルブラッドとコンタックスカメラ。「プロカメラマンですか?」っていうくらい、高級カメラとレンズがいっぱい。それがどれも新品のように綺麗だけど、かなり使われているものだという。
いくつか手放そうと思っているというので、その前に少しだけ使わせてもらうことにして、とりあえずコンタックスの25ミリと18ミリを借りてきた。それとハッセルの500C/Mとフィルムパックも。
ハッセルのレンズは150ミリが見つかったけど、それ以外のレンズやボディが入っている箱が片付かないと発見できそうもないので、80ミリが見つかったらということでレンズは後回しになった。憧れのハッセルを借りるのはちょっと怖いけど、ロールフィルムはまだ持っているので、試せたら嬉しい。
ほんとは手放すなら買い取りたいところだけど、流石に予算がなくて無理。それにフィルムスキャナーがないからフィルムカメラは敷居が高くなってしまった。とりあえずはコンタックスのレンズを使わせてもらう。
25ミリはとても好きなレンズで、海外旅行にはRTS IIと共に何度も持って行った。28ミリは苦手な距離感なのに、25ミリは自分には使いやすい距離感に感じる。18ミリも16ミリも欲しかったけど、16ミリの魚眼までは必要ないし、なにより買えなかった。
でも久しぶりにRTS IIのファインダーを覗くと、18ミリのF4レンズはかなり暗い。ライカなら素通しファインダーで気にならないけど一眼はきつい。でも18ミリじゃファインダーを覗く必要もないので、使う分には気にならないかな。
手持ち刃物の変遷 [道具]
35年以上前からアウトドアに興味を持ち出して、同時に刃物にも興味を持ってきた。ラブレスやランドール、イイダなど、有名ブランドを含めて数多の刃物を手にしては手放してきたけど、今手元にあるのが上の写真の刃物たち。
この中で左側の刃物は最近ではほとんど出番がなくなっていて、相棒とキャンプに行く時か、獲物の解体に使うことがあるくらい。右側の4つの刃物が普段の生活の中で使っているもの。右の一番上は唯一の折りたたみ式ナイフで、普段ポケットに入れて紐を切ったり郵便の封を開けたり、袋を切ったり、バイト先の花を切ったりと、日常的に便利に使っている。もう少し小型の物でもいいけど、大は小を兼ねることも多い。
上から2番目は折りたためないけど、幅が広いので山に入るときには斜面を登るときに手掛かりがないときに地面に刺して手掛かりにしたり、ウドを掘ったりするのにも使う。言ってみればニンジャが使ったクナイという刃物と同じ使い方。
3つ目の大きめの刃物は主に秋に腰に下げている刃物で、柄の部分が中空なので、ここに長い棒を刺して木の上のほうに出ているキノコを切り落とすのに使う。2番目のナイフより大きいので、地盤が弱い斜面ではナイフよりも強力な支えになるので、地面に刺したりもする。柄に巻いてある細紐は、棒の先につけた刃物がキノコを切る際に落ちてこないように引っ張るため。
4番目の刃物は片刃の刃物で、一番繊細な刃先にしている。釣りの時に魚を捌いたり、猪の皮を剥いだり、藪漕ぎでツタの類を切ったり、山菜を切ったり何かと便利なので、基本的にはこの刃物を基準にして他の刃物を持つ。
なんてことを書くと「どうして複数の刃物を持ち出すの?」と思う人がいるかもしれないけど、裏山程度の山や県道沿いに歩く場合は1つ持てばいいけど、もう少し深い山に入る場合は獣との遭遇の可能性があるし(裏山でも熊がいる)、急斜面を登り下りすると刃物が鞘から滑り落ちることもあるし、ポケットから落ちることもある。たぶん山で遊んでいる人は、一度ならず刃物をなくしている経験があるはずだ。
山に入る時にはこの4つのナイフから、使い道に応じて2つを組み合わせて持ち出している。例えば1番目と3番目、2番目と3番目という感じ。3番目と4番目を持ち出すことはほとんどないけど、左側の一番上と右側の1番上か2番目と3番目、あるいは4番目という組み合わせは、軽いのでないことじゃない。両手に持って地面に刺しながら斜面を登ったりする。
その時に1つしか持っていなかったら、崖を降りることができなくなるし、大型の獣に出会ったときに刃物をなくしていたらかなり心許ないことになる(こんな刃物一つで熊に対抗できるとは思わないけど、気持ちの上では多少の支えにはなるし、頼れるものがあるのとないのでは精神的な部分で全く違ってくるので、パニックにならずに済む可能性はある)。
なのでどうしても複数の刃物が欲しくなる。刃物以外に小型の斧を持つこともあり、斧としての使い方以外の、たとえば手の届かないところに打ち込んで手掛かりにして登ったり、降りたりすることも普通にある。
田舎暮らしを始めたことで刃物に対する考え方も随分変化した。昔は有名ブランドの気に入った刃物1つを腰に下げてアウトドアを楽しめればと思っていたけど、自然が生活の中で当たり前になると刃物一つでは何が起こるかわからないし、刃物はものを切るためだけのものではないこともわかってきた。
それに刃物は日常的に研ぎながら使うものという当たり前の現実がわかってきたことが大きな変化かもしれない。ということで、ブランドよりも実用的な大きさとメンテナンスのしやすさ、惜しげなく使えるものが中心になっている。でも切るにはやっぱり炭素鋼が好き。実は写真にはないけど、もう1本ある。まだ手元にはないけど、秋田の野鍛冶に頼んだナガサが暑くなるまでには手元に来るはず。それはまた紹介させていただきます。
姉妹 [薪ストーブ]
土日で相棒の妹がフキノトウを採りに来た。この妹さん、ここ最近友人と焚き火にはまっているらしく、キャンプにも興味を持ち出して、「あのテントはどうかなぁ」「このナイフはどうだろう?」などと聞いてくる。近頃はうちに来るとストーブに火を入れたがっていて、「最初はどうすればいい?」とか、「焚き付けはこれでいい?」と試行錯誤している。
相棒は私と一緒にそれなりに経験しているので、姉らしくアドバイスをしているけど、二人を見ていると同じ遺伝子を持っているのに長女と次女という、置かれた環境でこうも違うのかと思ったり、そこはそっくりと思ったり、いつも二人を見比べては呆れたり感心したり。
上の写真は二人でストーブに火をつけて、そのままじっと動かず、飽きもせずに二人で黙って火を眺めている姿。確かに炎の揺らぎを眺めていると時間を忘れるけど、久々に会った二人が並んでじっと火を眺めている時間というのも、ストーブがもたらすメリットかもなという気がした。
フキノトウ探し [山菜と木の実]
昨日は相棒の妹がフキノトウを採りにきたので、あちこち探しながらとりあえず満足できるくらい採ることができた。でも大きさといい、数といい、今ひとつだった。やっぱり時期がちょっと違う感じ。あと2週間後なら良かったかもしれない。
でも山も雪が消えたところからはカタクリなどが出てきている。こちらももう少し後になればもっといろいろな種類の花が出てきてもっと賑やかになるし、山一面花だらけになるのももう少しだ。
古いノコギリの目立て [研ぎと目立て]
先日解体している家屋の廃材をもらってきたけど、そのときに友人シェフから目立てを頼まれたのがこの大きなノコギリ。元々は幅の広さから想像するに縦引きのノコだと思うけど、横引きの歯が付けてあったので、そのまま横引きノコとして目立てをした。
わずかに狂いがあったけど、それは軽度の狂いですぐに修正できた。錆が浮いているけど、悪いものじゃないので使っているうちになくなるはず。刃こぼれもないし今の時代なら一生ものだ。歯が大きいので使うにはちょっとコツがいるけど、慣れれば充分に使えるはず。切れも良かった。
よく見れば機械で作ったものではなく、手で作ったものだとわかるのでそれなりに古いものだろう。銘を見ると中屋なにがしとあるので、昔この集落にあったノコギリ鍛冶が作ったものかもしれない。
もっとも、ノコギリ鍛冶で中屋銘は全国に星の数ほどあるので、昔は集落ごとにあったといわれる鍛冶屋なので、廃屋のあった集落にあった鍛冶屋の銘かもしれない。上の写真は昭和●四年と読めるけど、残念ながら自分には読めない。どなたか教えてください。
黒倉とあるのは集落の名前で、その下は使っていた人の名前だろうけど、こちらも読めない。一番下は鍛冶屋のマークのようで、鋸にも記されている。
目立てをすると前の人の目立ての癖や、道具への思いが窺い知れる。それが正しいかどうかは知る術もないけど、時を超えてこの道具を使った人の思いを感じられるのは不思議な感じもする。
蕗の薹がない [田舎暮らし]
昨日は午前中に、運んだ廃材を処理してから、1時間ほどあちこち蕗の薹を探して走ってみた。と言うのも、毎年春の恒例になっている、相棒の妹が今週末に蕗の薹を採りにくるためだ。ところが今年はどうも良くない。
雪が消えたところはすでに塔が立っているものばかりで、いい状態のものがない。かと言って雪が残っているところは全く出ていないし、困った。まあ、最後の手段としては雪を掘れば出てくるのはわかっているからいいけど、できればあまり冷たい思いはしたくないしなぁ。
でもあちこち走り回ったおかげで、普段はあまり見る機会のない景色が見られたので、それは良かったかも。それにゆっくりとは言え、久しぶりに1時間ほど自転車に乗ることもできた。来月はまた越後湯沢でツアーがあるので、足も少しは慣らしておかないと。